King Crimson Live in Japan 2018
18th December 2018, Orchard Hall, Shibuya, Tokyo (Official Setlistから)
<1st Half>
1. Drumsons Vibrate Goodwill
2. Indiscipline
3. The ConstruKction Of Light
4. Epitaph
5. Neurotica
6. The Letters
7. Radical Action 1
8. Meltdown
9. Radical Action 2
10. Larks’ Tongues in Aspic Part 5
11. Islands
<2nd Half>
1. Drumsons Emanate Compassion
2. Peace
3. Discipline
4. Cirkus
5. Larks' Tongues In Aspic, Part 2
6. Fallen Angel
7. One More Red Nightmare
8. Moonchild
9. Cadenzas
10 In. The Court Of The Crimson King + Coda
11. Starless
<encore>
12. 21st Century Schizoid Man
前回2016年は、チケットは購入したものの、一身上の都合により残念ながら見ることが出来なかった復活クリムゾン。今回は、チケット代が上がったこともあり、この日一日だけの観戦だった。座席はゾロ目の29列29番。福々しい席だったと言っておこう。
会場は渋谷文化村のオーチャード・ホール。以前、一度だけ来たことがあると思うが、はるか昔のことでよく覚えていない(たしかYoussou Ndourだったかな?)。天井が高く、1回客席の他に2階席やバルコニー席がある作りで、PAなしのアコースティックには向いているのではないかなと思うが、今回の座席29列目という後ろから数えた方が早い位置では、PAの音がドンシャリで、ボーカルがちょっと聞こえが悪い印象だった。また、反響音の方が強すぎて、洞窟の中から外の音を聴いているような聞こえ方で、あまりいい席ではなかったのは確かだ。PAが前の方だけにしかなかったのが原因かもしれない。コンソール席が自分の席よりも前の方にあったのも影響しているかもしれない。やはりコンソールの前の方がバランスがいいのはこれまでにも何度か(別の会場で)経験している。
さて、前回来日公演は、その後「Radical Action (To Unseat The Hold Of Monkey Mind)」としてリリースされたので聴いていたが、それ以前の「Live in Toronto」や「Live at the Orpheum」と同様に印象があまりよくなかった。もちろん、悪いという訳ではないが、楽譜を見て演奏しているかのような破たんの無さ。アンサンブルの崩壊を避けるあまりに一人一人が丁寧過ぎる演奏をしている、といった印象だった。故にこのバンドはクリムゾンではないと思ったのだ。印象的には21st Century Schizoid Band featuring Robert Fripp というものだった。主導権は、ボーカルを取るJakkoにあって、彼がやりたい昔のクリムゾンの楽曲を、他のメンバーがそれに合わせて演奏している、と。つまり、言ってみればJakko’s King Crimson of Dream なのではないか、と思ったのである。今回、この復活クリムゾンが、そもそもは21CSBに触発されたフリップが構想した、フリップ抜きのKing Crimson DNA という名前でクリムゾンの楽曲を演奏するバンドからスタートしているというインタビューを見て、あぁ、やっぱりそうだったんだ、と思ってしまった訳だ。メンバーの誰だったかも今のクリムゾンはオーケストラだ、みたいなことを言っていたと思うが、この人数ではアンサンブル重視にならざるを得ないだろう。
ところが、今回、ライブを見て感じたのは、Jakkoのノスタルジーや憧憬とは別のところでバンドが有機的に成長していることだ。それは、今回もっとも暴れまわっていたのがMel Collins とRobert Frippの二人であったことが象徴的に示していたと思う(ちなみにその次に暴れていたのはPat Mastelottoだった気がする)。バンドの演奏がしっかりしてきたことで、この二人のリード奏者の暴れる余地が拡がってきたのではないだろうか。その分、Jakkoの存在感は、ギターを思う存分弾けない分尚更、薄れたように思う。ボーカルはあくまでもSuper Subとしての評価が高いのであって、Jakkoのことをあまり知らないクリムゾンのファンからは、まだオリジナリティを認められていないのではないかと危惧している。80年代からのJakkoファンとしては寂しいところだ。もっとも、彼のソロ・アルバムは、21CSBを始めて以降、クリムゾン色を強め、かつて魅力的だった彼のオリジナリティは薄くなったと感じていた。そういう意味で21CSBで演奏れていたJakkoの楽曲「Catleys Ashes」は、どうしても中途半端なイメージが拭えなかった。
ドラマー4人という体制が、如何に無理があるものなのか、それはBill Rieflinがキーボード専任に回ったことや、Jeremy Stacyもかなりの割合でピアノやキーボードを演奏していたことから、自分たちでも分かっているだろうと思うのだが、Pat Mastelotto が最も思うように叩いていて、Jeremyもキーボードがあるので、そこそこ忙しくしている中、Gavin Harrison が、ものすごく窮屈そうに演奏し、あるいは、曲によってはほとんど演奏せずにいるのを見るにつけ、かわいそうになってしまった。クリムゾンにはドラムスとパーカッションで二人いれば十分だと思う。もしかするとFrippの頭の中にはBill Bruford+Jamie Muir の作りだしたイメージが強く残っているのではないだろうか。それを越えるものを!という思いがその後のクリムゾンには強く感じられるし、今の編成に繋がっているように思えてしまう。
セットリストは、毎回変わるということで、ま、この手のバンドなら当然要求されることなので驚きもしないし、それをもってクリムゾン凄い!という気持ちにもならないが、「Meltdown」や「Radical Action」I, II, IIIと即興曲的な数曲を除くと古い楽曲ばかりなので、ある意味ヒット・パレード的なもの。レパートリーが多いので、日によって差はあるが、どの回を見てもそれなりに満足できるもののようだ。以前よりも新曲が増えたことでバランス的にも良くなったと感じる。そろそろいい加減古い曲中心のセットはやめた方がいい。新曲がもう少し増えたらスタジオ・アルバムを制作してほしい。もう十分に資金はたまったはずだ。
今回強く感じたのは、Adrian Blew時代の楽曲の崩し具合、あるいは再構築の度合いが、70年代楽曲以上に大きくなっていること。復活前のクリムゾンは、nuovo metalとか言いつつも、そこそこ端正な演奏だった気がするだけに、この崩れ方は、一つにはAdrian Blewと同じ歌い方はJakkoにはできないからということもあるのだろうが、やはり、ブルースの素養もかなり強く持っているはずのMel Collins がより前面に出てきたことが大きく影響しているのではないだろうか。それとJeremy Stacyのドラムスも結構ガレージ・パンク、フリー・ジャズ的な「破れ」を感じさせられるものであるのも大きいかもしれない。
Gavinのドラムスは、以前2001年に本人にも直接言ったのだが「Powerful & Sensitive」であり、スムーズでありながらパワーも感じさせ、かつ、細かいところまで気を行き届かせている感じがする。だからこそ、もっと思い切りたたかせたい気がするのだ。
また、今回のPatの演奏は、パワフルなのだがドタバタしているように感じてしまい、悪いたとえかも知れないが、イタリアン・ロックあるいは、ビル・ブルフォードに対するアラン・ホワイトのような印象だったと言えばイメージが湧くだろうか。あまり好きなタイプの演奏ではない。
Jakkoについてもう少し言えば、彼は若いころから常に「Super Sub」としての役割を懸命に果たしてきたように思える。最初はボーカリストとして、Richard SinclairやRobert Wyattの代わりとして。あるいは、Japanのメンバーと組んだ時はDavid Sylvianの代役として。また、ギタリストとしてはLevel 42では、アルバム「Guaranteed」発売直前にバンドを抜けたAllan Holdsworthの代役として、21CSBでは、自ら進んでRobert Frippと70年代の歴代ボーカリスト(Greg Lake, Boz Burrell, John Wetton)の代役として。そして今は、そこにAdrian Blewの代わりという(ボーカル兼ギター)役割も果たしている。なまじ器用で、楽器も歌も上手く、声も良いために、そういった役割を求められても易々と応えられるのだろうが、傍目には不幸なことのようにも見える。しかし、本人は、本来の性格だと思うが、根っからのファン気質が強く、そういった役回りに対しても全く抵抗がないようだ。むしろ、嬉々としてやっているようにすら見える。実際、今のクリムゾンは、彼の子供のころからの夢だったのは間違いない。
我々ファンにとって、Jakkoは、元々カンタベリー系のSoft MachineやHatfield and the North, Henry Cowなどのファンとして1980年代にまず認知されたが、本来の彼は、同時にKing CrimsonやVan der Graaf Generatorの大ファンである。一番の根っこがどこにあるのかはよく分からないが、学生時代に組んだバンド64 Spoonsのアルバムを聴く限りにおいてはアヴァンギャルドなジャズ・ロック志向が強いようなのでやはりカンタベリーなのだろう。Jakkoのプロとしてのキャリアは、客として通っていたカンタベリー系のライブでの交流を通じてNational Health/Bruford後のDave Stewartに誘われたRapid Eye Movement(他にPip Pyle とRick Biddulphがメンバーだった)での活動が最初なのではないだろうか。残念ながら、ライブ活動は行ったものの、スタジオ録音のテープをライブ会場の楽屋から盗まれた(Dave談)ことで現在入手可能なスタジオ音源はない。
REM解散後は、Dave Stewart のソロ・デビュー・シングル「What Becomes of the Broken Hearted」のデモ・テープでColin Blunstoneの代役としてボーカルを取ったり(残念なことにその音源は出回っていない)、その後のDave Stewart and Barbara Gaskinのシングルやアルバムでもギターにバッキング・ボーカルにと活躍している。ちなみにDave Stewart and Barbara Gaskinの1982年の全英1位を記録した大ヒット「It’s My Party」のプロモーション・ビデオにはPip PyleやAmanda Persons, Thomas DolbyなどとともにJakkoも登場しているので機会があれば見てほしい。Jakkoは、それ以外でも、Dave Stewartがプロデュースを依頼されたPeter Blegvadのシングル「How Beautiful You Are」の録音に際して、その話を聞きつけて、「これは自分が行かなきゃならない」と勝手にDaveにくっついてスタジオに押しかけて、ちゃっかり参加している。この時の録音が縁で、その後、Peter Blegvadのソロ・アルバムに参加し続けているのはもちろん、The Lodgeのアルバムに至っては正式メンバーとして参加することになる。
さて、JakkoはVdGGのファンだったと書いたが、そちらの方にも「押しかけ女房」ぶりを発揮した証拠が残っている。それが1982年に発表されたDavid Jacksonの「The Long Hello Volume Three」だ。このVdGGのサックス奏者のソロ・アルバム全8曲のうち、A面ラストとB面ラストという重要な2曲において、全面的にアレンジと演奏、歌を担当しているのだ。A面ラストの曲は「Sogni D’oro」といい、David JacksonとJakkoの共作であり、現在もOsannaのライブにDJが参加するときには時々演奏されている。その時に歌うのはLinoの息子のIrvin Vairettiだ。そして、B面ラストの曲は、なんとGodbluff期の没曲だと言われている「The Honing of Homer」で、Peter HammillとDavid Jacksonの共作曲である。Peter Hammillが歌うべき歌をJakkoが歌っているこの曲は、DJがVdGGを抜けるまで、その歌詞がSofa Soundの歌詞のページにも掲載されていた。
Jakkoの第1期シングル時代(1982年)は、Chiswickというレーベルから3枚のシングルを発表している。そのすべてにDavid JacksonとDave Stewartが参加している。同じレーベルで最初のソロ・アルバム「Silesia」をDaveのプロデュースで制作しているが、ドイツ、イタリア、オランダの3国のみでの発売で、イギリスでは発売されなかったという不遇の時代だ。そしてレーベル倒産。
Jakkoのソロ第2期(1983-84年)のシングル3枚を出したStiff Records時代には、現在では矢沢永吉のツアー・バンドで日本でも人気の高いベーシストEd Pooleが参加している。また、この時期にStiff Recordsに勤めていたのが現在の奥様だ。そう、クリムゾンのオリジナル・メンバーのMichel Gilesの娘さんだ。結婚後、しばらくしてJakkoが義父を説得して21st Century Schizoid Bandを始めた背景には、そういう流れもあったのだ。義父を切り口にして、義理の叔父(Peter Giles)や二人の音楽友達(Ian McDonald, Ian Wallace, Mel Collins, Pete Sinfield, そしてRobert Fripp)へと直接的に繋がっていったのが現在に至る経緯だ。この時代のシングルの中にPeter Blegvadが朗読で参加した「A Grown Man Immersed in Tin Tin」(「Who’s Fooling Who」のB面)も含まれている。A面のプロデュースはDave Stewartだが、B面はJakko自身だ。
他方、JakkoとGavinの出会いは1983,4年頃だと思われる。Dave Stewartが全面的にプロデュース、バックアップしたイギリスのコメディアンNeil (ナイジェル・プラナー)のアルバムで二人がクレジットされているものが一番古いのではないだろうか。それ以前のGavinは、ルネッサンスのツアーバンドがプロデビューであり、もっぱらセッション・ミュージシャン(かなり売れっ子)として生計を立てていたようだ。Jakkoと出会ってからは、共にDave Stewart and Barbara Gaskinのシングルや、Jakkoの1986年からの第3期(1986年)シングル3枚に参加している。この中にはAnthony Mooreの「Judy Get Down」のカバーも含まれている。
翌1987年には、二人して仮名を使ってフランク・ザッパへのパスティーシュ・アルバム「Big Fish Pop-corn」をThe King of Oblivion名義で発表している。1988年に発表したDizrhythmia名義での同名アルバムはこの二人の他にベースでDanny Thompson、パーカッションでPandit Dineshがメンバーであり、インド音楽のフォーマットに西洋音楽を載せるという試みで、非常に心地の良いん学を作りだしている。Dizrhythmiaは2枚目のアルバムを録音したが、メンバー全員が超多忙なため、リリースまでに時間がかかり、2016年になってようやく発表された。こちらは歌ものの比率が高くなっており、Jakkoのファンにはとてもうれしい内容だ。また、
Gavinは、現在、King Crimson以外に2つの正式メンバーで参加しているバンドがある。Porcupine TreeとThe Pineapple Thiefだ。ともにGavinにとって大切なバンドのようだ。またベースを中心としたマルチ・インスト奏者の05Ricとの連名のアルバムも3枚出している。私は05Ricの弾くぐにゃぐにゃ、ぬめぬめといった感じのベースと歌が肌に合わなかったので1作目しか聴いていないが、本人たちはよほど相性が良かったようで3枚のアルバムを発表しライブも行っている。
Gavinの完全なソロ作品としては、1997年の「Sanity & Gravity」がデビュー・アルバムで、JakkoやDave Stewartに並んで元JapanのMick KarnとRichard BarbieriやGary Sanctuaryなどが参加している。そうそうMick Karnのソロ・アルバム「The Tooth Mother」(1995)でのGavinの活躍も要注目だし、Richard Barbieriとの付き合いはPorcupine Tree よりも古いことが分かる。
Jakkoは、Richard Barbieriは、Mick Karn、Steve Jansenと共に1994年にJakkoの単独名義で「Kingdom of Dust」というミニアルバムを発表している。90年代、JakkoとGavinはRichardやMickとFバッティアートやアリーチェなどイタリアのミュージシャンのアルバムにも多数参加しているので、その頃にGavinとRichard Barbieriが親交を深めた可能性は高いだろう。
ちなみに、JakkoとGavinは、日本の清水靖晃のアルバム「Aduna」にも二人で参加している。Jakkoに限定すれば、「恋に落ちて」で有名な小林明子がロンドンで本名「Hori」名義でリリースしたアルバム「Under the Monkey Tree」(1994)と2作目「Dreamscape」(2005)にも参加している。
Gavinのソロ2作目は2015年と随分と間が空いてしまったが「Cheating The Polygraph」という作品を発表している。PT楽曲をブラス中心のアレンジで聴かせるという野心的なものだ。JakkoやPTメンバーは参加していないが、Dave Stewartの名前を見ることはできる。
さて、クリムゾンに話を戻そう。
オリジナル・メンバーはFrippだけだが、Mel Collinsがそれに次ぐ古株で、あとはTony Levin、Pat Mastelottoの順に古参組となる。FrippとMelがいることで、リード楽器の役割は十分に埋まっている。Jakkoは歌に注力するしかない。今回の公演を見て、本当はもっとギターを弾き倒したいのではないだろうかとふと思ってしまった。Allan Holdsworthの元に押しかけて、Allan公認でその奏法を見て覚えたJakkoのギターは、元々のカンタベリー的センスと合わさって結構好きなので、クリムゾン風ではないソロをぜひ弾いて欲しいものだが、きっとFrippは、それを好きではないのだろうなぁ、と想像している。Frippには、かつてMatching Moleのアルバム「Little Red Record」のプロデュースでPhil Millerのギターを徹底的に抑え込んだ実績があるのだから。
やはり、完全新作を期待したい。メンバーがそれぞれ曲を持ち寄って、それをクリムゾンに仕上げていく。その過程こそがダイナミックなクリムゾン・ミュージックを生み出すのだと信じている。