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"二重の響き"アンサンブル・コンテンポラリーα定演

"Ensemble Contemporary α 2009"
"二重の響き~フランスと日本、声楽と器楽"グリゼイとミュライユの作品を中心に


日時 : 2009年12月15日(火)
場所 : すみだトリフォニーホール・小ホール
演 奏:Ensemble Contemporary α
ゲスト:小林 真理(メゾ・ソプラノ)、阿部 麿(ホルン)

楽曲(順不同)

1) 斉木 由美 (1964-) エピソード II (2009 新作初演)[violin, piano]
2) ジルベール・アミ (1936-) 暗澹たる惨禍から・・・(1971) 歌:小林 真理
3) 夏田 昌和 (1968-)  長いこと私は歌を歌わずにやってきた、しかし・・・
 (2008/2009 改訂版初演) [alto flute, viola]
4) ジェラール・グリゼイ (1946-1998) タレア(1986)
 [flute, clarinet, violin, violoncello, piano]
5) 鈴木 純明 (1970-) エピソード I (2009 新作初演)[violin, piano]
6) 金子仁美(1965-)音素Ⅰ(2006/2009 改訂版初演)独唱:小林 真理
7) 伊藤 弘之 (1963-)  沈み行く深い森へ (2009)
 [flute, oboe, clarinet, percussion, piano, violin, viola, violoncello]
8) フィリップ・ルルー (1959-) 我が愛しき人よ 君が望めば (1997) 独唱:小林 真理
9) トリスタン・ミュライユ (1947-) 記憶・浸食 (1976)
 [horn, flute, oboe, clarinet, bassoon, 2violins, viola, violoncello, doublebass]
  *ホルン独奏:阿部 麿

いつものように小ホールはほぼ満席。今回は私の知っている曲、作曲家の作品はないので、全て初聴であった。バイオリンとピアノによるオープニングは、この半世紀ほどでスタイルとして確立された技法をベースにしたスタンダードのように聞こえた。技巧的には目新しいものはなく、あとはどう展開を組み立てているのかで好みが分かれるだろう。2曲目は声単独のパフォーマンス。いろんな試みは、それはそれで分かるが、やはり新しさは感じないし、音楽としてどうか、という点でもいまひとつ。音の必然性をなくしてあったのか? 故デメトリオ・ストラトスの声だけの現代音楽のアルバムを思い出したが、インパクトは全く異なる。こういった試みを見るにつけ、声の可能性を追い求めるのが如何に難しいかが良く分かる。声はそこにあり、人であり、発声者の内にあり、外にある。声は音であり、意味であり、抽象であり、無意味である。形なき文字であり、不安定な楽器でもある。声は人であり、息であり、魂であり、ただの音でもある。目の前に立ち上る声を見ることが出るかのように思えるが、それは心の内で形を与えられているからだとも言われる。声と言語が結びついて用いられることが多いため、声には特別な力があると信じられている。言葉としての意味を持たない声は、それぞれの人々にはどのように聞こえているのか。音で考えることの出来る人、音を形や色としてみることが出来る人、音を無理やり言葉のイメージに転換してでしか聞く事ができない人...。

声は面白い。とくにそれが音楽として扱われる時、声はさらに特別なものとなる。歌詞のある「うた」はもちろんだが、意味の与えられていない単なる音だけだとしても、音楽となった声には特別な力がある。それは、ひとそのものの存在を提示する。特定の個人の場合もあれば、「人間」という言葉に象徴されるような場合もある。

アンサンブルものは、やはり面白い。演奏者個々人の楽曲解釈と指揮者のそれを含めて、偶発的な多様性がそこに現れるからだ。演奏者は、自らの解釈を指揮者を通じて解釈しなおすという作業を行っているようにも見える。ぶつかっていることもあるだろうし、無視する場合もあるだろう。だが、自分と、自分以外のものとの演奏が同じ時間と空間を占めるとき、そこに予定外のものが現れるのは間違いない。そういったことを考えさせられた。音楽とはかくも不思議なものであり、多様なものである。ポピュラー音楽の大量生産されているものも、ごく少数の人にしか聴かれることのない非商業ベースの音楽も、繰り返し型を極めるかのように職人技の演奏家や指揮者によって演奏され継がれていく音楽も、その場限りで消えていく即興演奏も、そこに音を出す人と、それを聴く人が、例えそれが同一人物であっても、音そのものとがどこに属することもなく生じては消えていく様は、消え去った後に何かを残していく。そんな不思議をよくもまぁ体験できるものだと思う。音はそこいら中に溢れているとも言える。それは人間が音と感じるものだけでなく、「振動」という在り方であるのだ。メロディや歌詞があるものだけでなく、リズムがあるものだけでなく、そんなものも含めて、単なる音ではなく音楽を聴くことができることは幸せなことだろう。
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by invox | 2010-01-03 23:26 | ■Music