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プンダリーカ・ライブ 鈴木生子

e0006365_1221499.jpgプンダリーカ・ライブ 11月17日(木) という、経王寺(都営大江戸線牛込柳町)の本堂で小規模なPAを用いて行われたイベントに出かけてきた。ステージはご本尊をバックにした形で奏者を見るとどうしても仏壇というか、普段住職がお経をあげているであろう場所が見えざるを得ない。これはちょっと面白い経験であった。こちらに与える心理的な影響、雰囲気、という意味でね。

「プンダリーカ」とはサンスクリット語で「蓮の花(蓮華)」のことだそうだ。仏教で蓮華と言うとお釈迦様の坐像でお釈迦様が座っているのがこの蓮の花で、通称「蓮華座」というはずだ。住職の説明によれば、蓮の花は仏教の教えの象徴で、有象無象を包含する泥水の中からとてもきれいな花が咲くことが、人が仏教の教えを助けに目指すべき境地であるらしい。そんな話を聞いた後でライブが始まった。

最初は、お目当ての鈴木生子さんが出てくる語りとクラリネットのコラボレーション。語りの原洋子さんはHPも持っており、そこでこのイベントについての簡単な紹介があるので興味を覚えた方は見てみると面白いかもしれない。このステージでは、まず最初にクラリネットとはどんな楽器か、というのも紹介する意味合いを込めての選択ということで、「猫とクラリネット」というタイトルの絵本が選ばれたという。クラリネットの音を聞くと体がどんどん大きくなっていく猫とクラリネットを吹くのが好きな青年の話。どんどん大きくなって飛行船のように空を飛んでいくようにまでなるというのだが、げっぷはクラリネットの音のように聞こえる…。話そのものは単なる夢物語だが、クラリネットの音にこんな出し方があったのか、と「猫のげっぷ」のところで思った。

e0006365_1223876.jpg続いて、鈴木生子さんによるクラリネットとバス・クラリネットという楽器の紹介を兼ねたソロ・パフォーマンス。ストラヴィンスキーの「クラリネットのための三部作の一番最後の部分」と、イタリアの作曲家Davide Zannoniの「バス・クラリネットのための"Raffa"という曲のほんの一部」。ストラヴィンスキーは、個人的には変拍子(複合拍子、奇数拍子)を用いた、より馴染みやすい作曲家で、キング・クリムゾンをより複雑にしたクラシックの作曲家であると同時に、民族音楽への接近という意味においても親しみやすい楽曲が多い。要するにより庶民的なクラシック楽曲の作曲家だという印象が強いのだ。一方のイタリア人作曲家についてはまったく知識のない人なので、ここで聴いた楽曲が唯一の手がかりである。「ジャズっぽい」という紹介があったものの、単独での演奏ではさほどジャズ的には聞こえなかった。かと言ってクラシックや現代音楽という観点からはリズムやフレージングがよりポピュラー音楽寄りな楽曲であるには違いない。

e0006365_1235754.jpgそして再び語りとの共演。鯨の絵本に鯨を題材とした楽曲。ともに独立した作品を同時に組み合わせてしまおうという試みだが、一歩間違うと「BGM付き朗読」に堕してしまう危険性をはらんだものだ。しかしながら、最初に「猫とクラリネット」を見た限りにおいてはそうなることはないだろうという見通しは立っていた。原さんのパフォーマンスは「語り」であって「朗読」ではない。「語り」は「騙り」に通じるように、聴衆を語り手の作り出す虚構にどこまで引き込めるのかというがそのパフォーマンスにかかっているわけで、原さんのそれは音、表情、身振り手振りといった身体要素をうまく使った効果的なものだった。そこに、決してとっつきやすいものではないクラリネットの演奏が、逆に鯨の鳴き声や動きを模しているかのように聞こえすらする不思議なマッチングを示していたのが面白くもあり、驚かされもしたのだ。もしもこれらを単独で経験していたらどういう風に感じたのだろうか、ということも頭をよぎったが、現実にはこういう形で初めて接したのであり、それがこのパフォーマンスの独立した個性を私の中に印象付けたのは事実である。語りの原さんはブログも持っており、そこに簡単ながら報告が記されているのでご参考まで。

これで第一部が終わり、第二部が始まるのだが、こちらは私の琴線には触れることはなかった。ギタリストは上手いのだが演奏が雑でチューニングも1弦だか2弦が微妙にずれていたように感じた。ピアノはクラシックを習ったのであろうが、打鍵の力がやはり弱く(普通の素人よりははるかに強いのだが)、鍵盤を撫でているだけのように聞こえるときもあった。歌はPAのせいか、歌詞が聞き取りづらく、心に届くことはなかった。もっとも、一番残念だったのは楽曲がどこにでもあるようなジャンルのスタンダードであるのにもかかわらず、「型」を越えていくだけのパワーを持ちえていなかったことだろう。オリジナル作品である意味を感じさせない楽曲だった。聞き流していて気持ちはいいのだが終わったとたんに何も思い出せない、といえば分かってもらえるだろうか。
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by inVox | 2005-11-19 01:24 | ■Music