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「ゲド戦記」

「ゲド戦記」

e0006365_11515514.jpg「あの」という言葉がふさわしい原作によくもまぁ挑戦するものだ、というのが事前の感想。大胆と言うか、怖いもの知らずと言うか。ちょっと目標が大きすぎはしない? 叩かれるのは目に見えているでしょ? と思ってしまったのだ。ねぇジブリさん。

それはさておき、実際に「ゲド戦記」を本として読んだことがある人はどのくらいいるのだろうか、名作と呼ばれて岩波書店もずっとハードカバーでしか出していなかったゆえに手軽に読むことが出来なくなっていた作品。今回の映画化で文庫化、ソフトカバー化、大人向けと一気に普及版が出揃ってしまった観がある。これは映画化の恩恵と言うべきだろう。原作を読んだことのある人でも、実際には3巻までしか読んだことがないという人も多いはず。いつの間にか続編と外伝が出ていた。これはもう大人買いするしかないだろう。

e0006365_11523017.jpge0006365_11524995.jpg~ゲド戦記(Earthsea)~ 全6巻の構成
 「影との戦い」
 「こわれた腕環」
 「さいはての島へ」
 「帰還」
 「アースシーの風」
 「ゲド戦記外伝」

e0006365_23512998.jpg映画は、タイトル通り『原作』として「ゲド戦記」を掲げているが、『原案』として宮崎駿の「シュナの旅」を挙げている。これがすべての鍵となっている。「シュナの旅」そのものは「ゲド戦記」とはまったく無関係の話で、チベットの民話に触発されたオリジナルだそうだ。あらすじは「作物の育たない貧しい国の王子シュナは、大地に豊饒をもたらすという「金色の種」を求め、西へと旅に出る。つらい旅の途中、人間を売り買いする町で商品として売られている姉妹と出会う。彼女らを助けた後、ひとりでたどり着いた「神人の土地」で、金色の種を見つけるが…。」(アマゾンでの紹介文より)というもののようだ。この物語と「ゲド戦記」をひとつにするということで、物語の筋書きは大きく変えられている。もしこの映画が世界公開されたときに大きな批判が予想されるとしたらこの点だろう。ストーリーは原作からははるかに改竄されている。同様に登場人物の設定もかなり異なっている点が多い。4冊にまたがる話を無理やりひとつに詰め込んだ感がなくもない。

しかし、原作を知らない人の方が多い、という仮定はおそらく当たっているだろう。原作について何の予備知識もないままこの映画を見たとしたら、この映画は十分に楽しめるものだ。遠い昔に3作目までを読んだに過ぎないし、もう記憶も薄れてしまった、という場合も同様だ。ストーリーはシンプルで、キャラクター設定も分かりやすい。成長と懊悩と「悪」との戦い、自分との戦い、そういったものがふんだんに盛り込まれており、一流のエンタテイメントになっている。描きこみもそれなりに必要な登場人物についてはされている。それゆえ、原作が有名すぎることが逆に評価を下げることになってしまっているのではないかという気がする。「ゲド戦記」を「シュナの旅」同様に「原案」のひとつとしてオリジナルとして仕上げた方がよかったかもしれない。

e0006365_11571573.jpgアニメーションとしての観点からひとつだけ残念だったのは、仕上げである。背景を中心に色の感じが雑だと感じる部分が多々あった。ジブリ作品と言うことを抜きにしてもちょっといまどきのアニメーションでこれはないだろうと最初がっかりした。映画は大画面であるがゆえになおさらだ。ま、物語に入り込めば気にならなくなる程度ではあったのだけれども。ジブリも自分たちなりのCGの取り込み方を検討した方がいいのではないだろうかとも思う。

「真の名前」を知ることがその対象をコントロールする力となる、という設定は日本でも古くから「真名(まな)」という概念で存在している。それゆえ通常口に出して使われる名前は「仮名(かな)」と呼ばれ、転じてそれを表記するための文字そのものを「かな」と呼ぶようになったという説だ。したがって我々は、本質的な世界を持ちながらも他人との接点を持つこの世界を「仮の世界」とみなして、「仮の名前」を用いてコミュニケーションを行っていると言うことになる。

この考え方は「本当の名前」=「本質」であるというものかもしれない。科学的な思考法は基本的にはこの考え方であり、物事の本質を化学式や数式で、あるいは他の言葉で表そうとする試みだ。それ(化学式・数式・言語による記述)が出来れば、その対象となっている事象・事物を「理解・掌握した」とみなされる。しかし、化学式や数式、言語そのものが「仮名」であるゆえに不完全なものにとどまっていると思う。

その昔、母親は妊娠中に胎児に向かって本当の名前で呼びかけるようにしていたという。実際に生まれてからは別の名前が与えられるのだが、母親は子供本人にだけ「本当の名」を教えて、絶対に他の人には知られないようにすることを子供に約束させたというのだ。これにより子供をもろもろの災厄から守ろうということだったらしい。

こうして人には真の名前と仮の名前の二つがあるという考え方は日本では、平安時代あたりに一時的には当たり前のことだったようだが、武士の時代になるにつれ、いつのまにか失われていったようだ。似たような考え方はネイティブ・アメリカンにもあるとかないとか昔聞いた様な気もするが定かではない。ル・グウィンさんがどこからこの着想を得たのかは知らないが、きわめて根源的な発想のひとつだと言っていい。
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さて、「指輪物語」、「ナルニア国物語」そしてこの「アースシー(ゲド戦記)」と世界三大ファンタジーがすべて映像化されてしまったわけだが、「指輪」は過去にも映像化されたが興行的に失敗した。「ナルニア」はディズニーが今後続編を本当に作るのか疑問が残る。このジブリの「ゲド」も原作とはあまりにも違いが大きい。いずれ誰かが実写での「ゲド」を撮るのだろうが、それを見ることができるのか、怪しいと思っている。
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by inVox | 2006-08-13 11:54 | ■Cinema/Movie