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 久しぶりにジャッコのニュースがあった。久々のソロ・アルバムが今秋出るそうだ。参加したゲストもうれしい顔ぶれだ。ジャッコの現在所属している21CSBからメル・コリンズ、イアン・ウォーレス。盟友ギャビン・ハリソン(現ポーキュパイン・トゥリー)、おなじみのリチャード・バルビエリ、「伝説的なダブル・ベース・プレイヤー」としてダニー・トンプソン、師匠のデイブ・スチュワート、ヒュー・ホッパー、レベル42からマーク・キングとリンドン・コナー(元64スプーンズでもある)などなど。
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 今回のアルバムには、たくさんの新しい未発表マテリアルがたくさん含まれているとかで、その中にはクリムゾンやソフト・マシーンのカバー曲もあるそうだ。また、ピート・シンフィールドが歌詞を提供している曲もあるとのこと。まだ、どのレーベルから出されるのか分かりませんが大変楽しみな一枚です。

 なお、ジャッコとしてはこのアルバムのプロモーションのためにいくつかのショーも行いたいと考えているようです。
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by inVox | 2005-08-29 23:11 | ■Music
面白いのは、普段の生活ではまともに人と話ができないような人がネット上では攻撃的なまでに饒舌になる傾向があるということだ。普段言いたいことがあっても言えない分過剰になるのだろうか。バランス感覚が悪すぎる。趣味の世界において、価値観は多様であるのは自明の理として周知徹底されているはずだと思っていたが、そうでもないらしい。自分の価値観こそが絶対で、それを認めない、あるいは同意しない奴はとんでもない馬鹿か悪人だ、と。あほらしいことこの上ない。音楽の世界でも、海賊盤や稀少盤を血眼になって収集しては「どうだ凄いだろう。凄いといえ!」と迫り来てはこちらが「凄いね」と言ってあげるまで開放してくれない人もいる。まぁそれもまた趣味の世界なのだから仕方がないのかもしれない。でも勘弁して欲しい。

一方で、世の中には徹底的に自分で責任を追うことを拒否する人がいる。責任を負わないことをまるで正義ででもあるかのように、正論であるかのように振り回す者までいる。たとえばどの本が「良い」とか、「悪い」とか、どの音楽が「良い」か、「悪い」か。そもそも「良い、悪い」で語ること自体愚の骨頂だ。自分の好みかどうか、というのが趣味の基本だろう。他の人にとっての「良い」音楽でも「嫌い」なものは「良くない」と普通は認識しているのではないだろうか。そのくせ、人がこれは凄い、とか良くないとか言うのを真に受けて自分の目や耳で確認せずに飛びつき、結果が自分の勝手な妄想と異なっているとその責任をコメントを出した人に押し付けている。自分の好みまで人に決めて欲しいのか? そういう人はもしかして人付き合いも下手だったり、学業や仕事の能力も低いのではないか? そして、そういった自分が招いた不幸の責任をすべて他人や環境のせいにして開き直っているのではないだろうか、とふと思う。

とまぁこんなことを少し考えさせられることが増えてきた。自分のもまたそういうようなことをしているのではないかという不安とともに。嫌な時代だ。
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by inVox | 2005-08-20 23:07 | ■Human
イタロ・カルヴィーノという作家の本、通算4冊目に取り掛かろうとしている。最初に読んだのは「見えない都市」だったか。その後「レ・コスミコミケ」「柔らかい月」と進んできた。そして今は「宿命の交わる城」を読み始めたところだ。

e0006365_2137326.jpgおもしろい。なにが? 文章が。視点が。動きが。語り口も面白いが何より煙に巻くような明晰な文章が連なっていくダイナミックな凍りついたような一瞬の切り出し方が。「飛ぶ矢は静止している」ではないが、静止した時間の中での無限のダイナミックな動きといった表現が許されるならまさにそれだ。「一瞬」と私が感じるものを言葉で表現しようとしたときに感じる延々と広がる時間感覚に近いものがある。どれだけ言っても言い尽くせないほどの内容が「一瞬」の中には詰まっている。止まっている時は無限に広がっているのだ。
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時間は空間と同様に立体的な静止した空間のようなものだと理解している。その中を「私」が空間的に移動しているのが「時間の流れ」として「私」に認識されているに過ぎない。と同時に時間の中の移動は空間の中の移動と密接に結びついているがゆえに同じ点を通過しても「時間」も「空間」も毎回異なっていると認識されるのだ。ただし、同じ点だという理解はされるので、「時間」の中の同じ点を通ると、それは「デジャ・ヴ」だと認識されたり、「似たような経験」として認知処理される。「空間」の中の同じ点の場合は、「同じ場所、違う時間」と認識される。
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時間と空間が似たような構造をしているとしたら、それらは互いに立体的な次元を構成していると考えることも可能だ。だとすると、数学的に正と負の両方の次元を有することになり、たとえば空間座標を3次元だと定義するとX,Y,Zのそれぞれの軸に性と負の両方が存在することになる。人間が認知している通常の空間を{X,Y,Z}={正、正、正}だと仮定すると、人間は8つの組み合わせのうちひとつだけを認知できているに過ぎないということになる。では他の象限があることはいかにして証明すべきか。その答えはしらないが、人間の内宇宙と称される空間や、夢の中の空間、あるいは四次元と称されるものやパラレル・ワールドとして時として登場するものなどは、あるいはこういったほかの象限のひとつの現われなのかもしれない。
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「わたし」という点が「時間」と「空間」という二つの空間的な構造の中に重なり合っているまさにその一点において「今、ここ」という存在が出現しているのではないか、と常日頃思っている。

一方で、「わたし」という自己認識されるものも実は点ではなく空間的な構造を持っているのかもしれない、と時々思う。常に顕現している「私」という自己認識は点でしかないが、その意識の点が実は「わたし」という空間を移動しているのかもしれない、と思うのである。そのポイント、ポイントで「わたし」は様々な感情や考えを抱き、変化していくのではないだろうか。なぜ「点」として認識されているのか、それは、先に述べたように「時間」と「空間」と「わたし」の三つの立体的な構造が多重されており、その多重されている中で一つ点だけが「わたし、いま、ここ」として自己認識されているのだと解釈している。

「わたし」を「意識」と置き換えて考えてみると、もう少しこの「多重された一点」という概念は分かりやすくなるかもしれない。もしかすると、「意識」の中の「わたし」以外の点は実は「あなた」や「彼」「彼女」なのかもしれない。だとすると多重される三つの構造は全体が多重されているが、多重されたここの点は、当事者にとっては「わたし、今、ここ」だが、当事者以外にとっては「あなた、そのとき、そこ」だったり「彼、あの時、あそこ」なのだと認識されるだろう。

ちょうど酸素が空気を構成していながらその内部を流動しているようにわたしたちはある点的な分子や原子と比較しうるようなものなのかもしれない。密集しすぎるとブラウン運動のようにぶつかり合い熱を生じる。あるいは宇宙空間のような疎な空間を構成している場合は孤独なのかもしれない。「わたし」が酸素分子だとして「あなた」が水素分子だったら反応できて水になるかもしれないが、まったく性質の異なるもので共存していることすら互いに分からないのだという可能性だってあるのだ。
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by inVox | 2005-08-18 21:38 | ■Books
すでに何度かの来日で確実に大勢のファンを獲得し始めたと思われるファーマーズ・マーケットの唯一のブルガリア人アルト・サックス奏者であるトリフォン・トリフォノフさんが昨年の来日の際に語ってくれていたフランスでのソロ・アルバム「ブルガリアン・ウェディング・ミュージック・フロム・ザ・ラスト・センチュリー」(トリフォン・トリフォノフ&スタニマカ)の録音がようやく発売された。e0006365_134535.jpg
オリジナルはもちろんドイツのウインター&ウインターであるが、スティアン/ファーマーズと同様に、うれしいことにボンバ・レコード(問合せ先:LDF00464(at)nifty.com)から日本盤が発売されている。(BOM24043)これにはレーベルの長であるステファン・ウインターの解説の和訳が付けられており録音がなぜフランスだったのか、ここで聞かれる音楽がどのような性質のものなのかを説明してくれている。
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録音が行われたのはフランスのとある田舎町そこで開催された「Musiques de Nuit」というセミナー&コンサートでの演奏。演奏された音楽はタイトルが示すように結婚式の宴のための音楽。トリフォンが以前語ってくれたところから推察するに、ブルガリアではこういう音楽を一晩中途切れなく演奏し続けることもまれではないとのこと。とにかく結婚式はめでたいのである。
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試聴できるオンライン通販のサイトがあるので興味がある人はぜひどうぞ。




トリフォンの参加するファーマーズ・マーケットはこの後9月にもライブの予定があるらしい。また日本へも来て欲しいものだ。



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by inVox | 2005-08-13 13:04 | ■Music
「姑獲鳥の夏」と書いて「うぶめのなつ」だそうだ。京極夏彦のデビュー作の映画化。小説の映画化ではあまりにも多く用いられる常套的な宣伝文句「映像化は不可能といわれた…」云々に当初見るつもりはなかったのだが、「妖怪大戦争」見たさに映画館へ行ったところ、あまりの子供の数の多さに閉口してしまい、だったらこっち、と見てしまった。なかなかに面白い。

登場する俳優・女優は有名どころばかりで、普通ならその役への感情移入こそが映画に没入できるかを左右するのだが、この映画の場合は役者そのものの個性も別段邪魔にならない演出。実相寺監督の手腕か。セットも特撮も純日本的で見慣れているという意味において違和感がない。
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映画は面白かった。だが原作を読んでみたいか?と訊かれたらどうだろう。おそらく答えは「遠慮する」だろう。いまひとつ私の肌感覚には合わなさそうな気がする。まぁ、そう言いながらいずれそのうちきっと読むことになるのだろうなぁ、と思っている。
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by inVox | 2005-08-12 23:34 | ■Cinema/Movie
恩田陸という作家の作品をここ2ヶ月ほどで文庫と新書になっているものをすべて読んだ。そもそもの始まりはご多聞にもれずNHKの少年ドラマシリーズの流れを汲んだ「六番目の小夜子」だ。それまでは本屋の店頭で名前を見かけてはいたが読もうという動機がなかった。でもドラマ、それもNHKの夕方の少年ドラマ系のドラマであったため、つい見てしまった。鈴木杏の強烈なキャラクターが少々つらかったものの中身は面白かった。しかしその後1,2年は何もなかった。今年に入ってその原作を文庫で見かけたのが最初かもしれないが、それを読んでも「面白い」とは思ったが嵌るまでは行かなかった。その後手にしたのは「木曜組曲」だった。これは本が先だった。読み終えて1週間か2週間後にテレビの深夜映画で「木曜組曲」が放送された。本と比べるべく見た。イメージは随分と違っていた。そこからもう一冊読んでみようという気になった。「月の裏側」つまり「狂気」である。タイトルとは無関係にこれがジャック・フィニイへの直接的なオマージュだった。年齢が一緒、ピンク・フロイド、そしてフィニイ。俄然興味が湧いた。そして突入。今は少し同じ一人の作家を読みつかれたかもしれない。イタロ・カルヴィーノを2冊仕入れた。少し趣向を変えよう。

同い年に二人の作家。恩田陸と法月綸太郎。(今のところ)フロイドとクリムゾン。この先どんな展開を見せてくれるのか。恩田陸にはタンジェリン・ドリームが待っているが分かっている(「恐怖の報酬」日記。ただし旅行エッセイだ)。
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by inVox | 2005-08-10 23:54 | ■Books
ドレスデンを見に行った。e0006365_2225371.jpg集光鏡をシンボリックに使った宣伝文句よりも、絵画を見たかったのだ。宣伝されたフェルメールやルーベンスも良かったが、それ以外の作品もかなり多く、結構楽しめた。e0006365_22261131.jpg同じチケットで見ることのできた常設展示もさすが著名な美術館だけに、私の知っている地方の常設展示とはレベルが違って、こちらも予想以上に楽しむことができた。5月7日にイギリスのロンドンで見た美術館以来だが、今年はもっと回ってみたい。

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一方で、その後「アイランド」を見た。ユアン・マグレガーはどうでもいいが、話の設定等は面白かった。音楽もクラシックをベースに無国籍な雰囲気も織り交ぜつつ楽しむことができた。次は「妖怪大戦争」か?
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by inVox | 2005-08-03 22:22 | ■Arts