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コルドン・ブルー 第5回演奏会
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2008年4月26日(土)、青葉公会堂

曲目:
 1. 木管六重奏「青春」(レオシュ・ヤナーチェク)
 2. 「クラリネット協奏曲」(モーツァルト)
 3. 組曲「バレエ学校」(ジャン・フランセ)
アンコール
 4. バス・クラリネット・ソロ(曲名は未確認)

指揮:野崎知之
演奏:コルドン・ブルー
   鈴木生子 [Bass Cl(1,4), Cl(2)]

e0006365_10551528.jpg東京工業大学の有志による管弦楽団コドン・ブルーの定期演奏会だそうだが、楽団発足は全員学生だったそうで、卒業後としては初の公演となるようだ。無料というのは嬉しいが、もう少し宣伝してお客を集めた方がやる方も盛り上がるだろう。せっかくちゃんとしたホールでやるんだし、というのが開演前の感想。今回は、木管楽器の指導者としての鈴木生子さんのブログで紹介されていた(4/26 ヤナーチェクとモーツァルト)のを見ていってみようという気になった。

ヤナーチェクとかフランセといったあまり耳慣れない作曲家の作品二つにモーツァルトの超の付くメジャー曲を持ってきてバランスを取っているのは聴衆への配慮と言うべきか。モーツァルトの「ポピュラー・ミュージック」としての完成度が際立っていた。

さて、演奏だが、「頑張れ諸君!」というのが正直な感想。1曲目ヤナーチェクではバスクラが支え、フルートとオーボエがリードするも、バスーンとホルンが苦しい。クラリネットは可もなく不可もなくという感じで、フルートとオーボエがしっかりとした演奏をしてくれたので辛うじて崩壊せずにすんだのかな? 曲はとても面白かった。

2曲目のモーツァルトは、弦を中心としたオケをバックにクラリネットが吹きまくるという曲。弦楽器は割りとしっかりしていたが、時折、ヴァイオリンが小さい音では力が入らずふらふらとしているのが気になったし、コントラバスとチェロは全体を通してあまり力がない。もっと腰のある音を出していけるようにがんばって欲しい。大きめの音についてはそれなりに出ていて、盛り上がる部分はしっかりと演奏できているので、課題は小さい音量時の音の芯の強さをどう出せるようになるかだろう。それにしても、まさに「吹きまくる」感じでクラリネットのメロディが縦横無尽に走り回る様はすごかった。バス・クラリネットのイメージが強くて、もっと硬派な演奏がソロでは多いので、この曲での鈴木生子は新鮮だった。指揮者も背にする立ち位置での演奏なので、演奏者自身の曲解釈が表に出て来ざるを得ないはずであり、故に力量が問われる曲だ。個人的な好みから行くと、もっと大胆に演奏してもよかったかもしれない。時折オーケストラに引っ張られて抑え気味なところもあったのが少しだけ残念だった。

3曲目は、ソリストなしの組曲。割とポップな感じのフレーズをモチーフにテンポよく演奏される。ここでは、先ほどの編成にさらに管楽器と打楽器が加わりかなりの人数。それなりに音の厚みも出ているが、金管楽器が弱いのが目立った。弦楽器も2曲目同様の傾向があり、指揮者がかなり大きなアクションでメリハリをつけようとしていたが、残念ながらオケはそれに十分には応えられていなかったのではないだろうか。まだ、自分と楽譜の関係の中でしか演奏できていないような演奏者もいたように思う。それでも、曲は盛り上がり、演奏終了時には「ブラボー!」という声も客席から上がっていた。演奏する側と聴く側の両方で楽しむための音楽としては成功していると言えるだろう。私にはちょっとだけ単調に思えた。

本来なら、この3曲で終わるはずだったようだが、バスクラリネットという珍しい楽器を1曲目で使用したついで?に「せっかくなので」急遽特別アンコールとして、バス・クラリネットのソロが披露された。本人にも突然言われたようで、曲名の紹介がなかったのが残念。現代音楽からの1曲は、さすがと言うほかなく、コルドン・ブルーとの力量の違いが際立った演奏となった。結果として、この演奏が演奏会全体を引き締めた感じになったので、全体の印象はかなりよいものとなった。

今回指揮をした野崎氏とクラリネットの鈴木氏は、このコルドン・ブルーのメンバーに楽器の指導をしているとのことだが、その指導に対して、もう少し頑張って練習して、返してあげて欲しいものだ。せっかく音楽を続けるのなら、上手くなっていく方が面白いし、教える方もそれが楽しみなのだから。もちろん、趣味で下手の横好きでもいいが、大人数でやるものはなかなかその辺の感覚がメンバーによって異なることもあるだろうし、社会人になればますます練習量にも差が出るだろうし、技量の差もどんどん大きくなっていくだろう。いずれ、力量の同じレベルの少人数のグループに分かれていくか、全体の演奏力を高めるしかなくなるときが訪れるだろう。オケはその辺が難しい。ということで、「がんばれ!諸君」
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by invox | 2008-04-29 11:04 | ■Music
「ゴールデン・マン」フィリップ・K・ディック(著) 浅倉 久志、ほか(訳)
「まだ人間じゃない」フィリップ・K・ディック(著) 浅倉 久志、ほか(訳)

e0006365_23234416.jpgこういっては何だが、最近のハヤカワ文庫は、分冊化が多すぎる。元本が1冊でも2冊、3冊は当たり前。ひどいときは5冊にまで分冊化されて邦訳が出ている。まぁ、昨今の日本の読書文化の停滞に対抗するための手段としての「読みやすさ」優先の商品化というコンセプトは分かるのだが、文字は大きく、1ページ辺りの文字数は少なく、文字間・行間はゆったり目に取る、1冊1冊は手軽な薄さにしてすぐに読み終えられる程度に抑える...、というのが果たして読書人口の増加に本当につながっていくのか、はなはだ疑問である。読まない人はそんなことをしたって読みやしないのだ。むしろ、小学校に入る前からの親による読み聞かせを奨励し、小学校低学年での読書量を増やすための児童書の充実を図るべきだろう。小中学校の図書館の質量ともの充実も必要だ。加えて、何でも知っている図書館司書の育成も影響力が大きいだろう。

e0006365_2324236.jpgとはいえ、ディックのこの短編集は2分冊はちょうど良い判断だったかもしれない。何せ読み応えのある本だからだ。映画の原作といっても、「未来を見ることが出来る男」という設定だけが同じで後はまったく違うので、これを「原作」として宣伝してもいいのだろうか>映画、と思ってしまう。映画は、まったく別のエンタテイメントとして楽しむのがいいだろう。

とは言え、『ゴールデン・マン』を読んでみて思ったのだが、この人の作品はおしまいが所謂エンディングという感じではないものが結構あるなぁ。突き放す、というケースもあれば、尻切れトンボ的なものもあるし、その分「続き」を想像してしまう余地が読者に残されている。しかも奔放に想像してしまうような仕込がしっかりと出来あがった状態でだ。だからこそ、映画化の話も多いのだろうし、しかも感嘆には実現しないのだろう。結局アイディアと設定だけが残ってしまう、というケースが多いのではないだろうか。

ディック自身が語るエピソードの中にハインラインの名前が出てきたのには驚いた。なるほどね。こういう関係があったのか、という思いもかけない話だった。いいねぇ。それでは、ちょっと間に別の本を入れてから『まだ人間じゃない』に進もうか。
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by invox | 2008-04-22 23:25 | ■Books
<カノンホールオープン記念企画>
「兵士の物語 2008」(1918 - 2008) at カノンホール、四谷
ストラヴィンスキー没後37周年も記念して全曲ストラヴィンスキー!

e0006365_23591856.jpg 1. 「4つの練習曲 Op.7」より<第3番ホ短調、第4番嬰ヘ長調>
 2. <サーカス・ポルカ>
 3. <クラリネット・ソロのための3つの小品>
 4. <イタリア組曲>
 5. <兵士の物語 2008年版>

クラリネット:鈴木生子
ヴァイオリン:相磯優子
ピアノ   :浦壁信二
兵士の物語朗読:飯原道代


没後37年を記念して、彼の命日である4月6日に全曲ストラヴィンスキーで構成されたステージだ。1,2はピアノ・ソロ。3はもちろんクラリネット・ソロ。4はヴァイオリンとピアノによるデュオ。そして5がトリオ編成+朗読というもの。正直言って、もう2,3曲トリオでの演奏が聴きたかった。顔ぶれがいいだけにもったいない。

「カノンホール」は旧「コア石響」。音響的にはライブ過ぎて、PAは不要だが生音と変な残響音が悪い方向に作用している。もう少し吸音材を工夫する余地が大いにあるホールだろう。バランスが悪すぎる。それでもデュオやトリオでは音数が多い分ソロよりましに聞こえるから不思議だ。

演奏はすばらしかった。が、音響的に不利な点を差し引いて考えなければならないとしたら一点だけ気になったことがある。それは、特にヴァイオリンの演奏を聴いていて思ったのだが、こういう狭いライブな空間で演奏しようとすると、どうしても、演奏する音がより広い空間での演奏に比べると小さくせざるを得ない、という制約が付くことだ。これまで、ジャンルを問わずプロのミュージシャンのライブやリハーサルを見ていて思ったのだが、プロは生音がとにかくでかい。そうでなければ、あれほどのダイナミクスを生み出せないのだろうが、大きな音の上限が高い。そうすることで小さな音もきちんと聞えるレベルにまで上げることができるのだろう。

今回のホールは反響が強く、大きな音では響きすぎて何を演奏しているのか分からなくなるのではないかと思えるほどだった。それゆえ、小さな音での演奏になっていなかったか。もちろん、極小の音の響きを用いる楽曲、息遣いやキーを操作する音までが音楽になっているような、そんな楽曲であれば、小さな音は必然だが、通常のホールでの演奏を想定した楽曲においては、このホールではあまりにも大きな音が出せないのではないだろうか。願わくは、こういう環境でばかり演奏しすぎないように。アマチュアがよく陥る罠に、特に防音工事を施していない自宅での練習、というのがある。そこで周辺住民への迷惑にならない程度の音量でばかり練習してしまい、音楽表現が小さくなってしまうということがある。電気楽器でもそうだ。アンプを通さずに練習してばかりいると、アンプを通したときに音をコントロールできなくなる。アコースティック楽器は尚更出す音量そのものが音楽表現に直接的に結びついているのだから、この「普段出しなれている音の大きさ」はかなり重要なファクターとなる。なので、ちょっと心配になったのだ。特に「イタリア組曲」はもっといい環境で、目いっぱいの演奏で聞きたかったのだ。

「兵士の物語」は以前聴いた7人編成バージョンが初めての体験だった。男声ナレーションによる朗読との組合せだった。今回は、3人編成+女声ナレーション。かなり大きな対比だ。ナレーションの翻訳もかなり違っていたように思ったが短縮してあるのか、単に訳の違いか分からない。音楽は、3人に濃縮されている分、音の密度が高く、エネルギーが高まっているように感じた。個人的な好みから行くと、断然3人編成バージョンがよかった。また、指揮者がいない分3人のアンサンブルがより音楽的なものになっていた。あぁ~、つまり、より「バンド」的なる要素が出ていたということであり、互いの音や呼吸を聴きながらそれに反応していくという、スポンテニアスなアンサンブルだったのだ。出来れば暗譜で、互いの顔を見ながらやって欲しかったなぁ。「楽譜を見る」という肉体的な行為自体が、「演奏する」ことに100%の集中をすることを邪魔してしまうからだ。視覚は五感の中で最も優先順位の高い脳処理を要求するように思える。

不満があるとすると、ピアノがもう少し音数が多くてもよかったのではないだろうか。ちょっと「伴奏」に徹しすぎのような印象だ。もともとのストラヴィンスキーによる編曲がそうなっているのだろうか、オリジナルはヴァイオリン奏者と二人で編曲したとあるので、ヴァイオリンを前面に立てたアレンジになっているのかもしれない。趣味に走った物言いをするならば、ピアノに加えてオルガンを入れたバージョンを作ってみるとロックからのストラヴィンスキー好きにはたまらないものになりそうだ。あと、数箇所にドラムスを入れてみてもいいかも。それくらいのエネルギー感が充ちていた演奏だったのだ。そういうイマジネーションを刺激されてしまった。
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by invox | 2008-04-08 00:00 | ■Music