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「ヘリックスの孤児」(Worlds Enough & Time)
ダン・シモンズ(著) 酒井 昭伸(訳)嶋田 洋一(訳)

e0006365_23193847.jpg1. ケリー・ダールを探して
2. ヘリックスの孤児
3. アヴの月、九日
4. カナカレデスとK2に登る
5. 重力の終わり


「ハイぺリオン」「エンデュミオン」の世界での後日譚を中編に仕立てた表題作ほか、全5作品を収めるアンソロジー。表題作のほかに、「イリアム」というシリーズに連なる中編(短編?)も含まれている。著者自身による序文が各作品毎に付けられている。読み応えたっぷり。

「イリアム」ってなんだ?と思っていたら、2006年以降単行本で出ているシリーズらしい。そちらは未読。学生の頃に読んだ「カーリーの歌」がおまり好きではなかったため、ハイペリオンも最初は、まぁ読んでみるか、程度から始まったのだが、見事ヒットした。なので、本アンソロジーも面白かった。いろんなところで、既出作品が多いとか、ハイペリオン・シリーズを読んでないから分からんとかつまらんというコメントも見たが、まぁ読書は時の運とも言うくらいその本と出会うタイミングが重要なので、他人の書評を頼りに読むくらいなら本屋で立ち読みで少し読んでみてから買えと言いたい。シリーズ物の番外編を読むのに本編を読んでいなくても楽しめる、というのは、意図的に作者がそれを独立した作品として完結させようとした場合でも上手くいかないことが多いのだから、それを理由に面白くないと言うのは馬鹿げている。勝手に文句言ってろという感じだ。

私の手元には、やはり随分と昔に購入した「SFの殿堂 遙かなる地平」(全3冊)がまだある。その中に、この表題作も含まれているが、私はすっかり内容を忘れてしまっていた。それを読んだ当時は、ハイペリオンなど読んでもいなかったからだろう。全く印象に残っていない。この作品が収められているのは第2巻なのだが、どうやら私はグレッグ・ベアのみを目当てに第2巻を読んでいて、他の作品をほとんど読んでいなかったようだ。読み返してみよう。

表題作が圧倒的に構築された世界を背景としたものであり、すでにその世界を部隊としたより壮大な物語を読んでいるだけに、他の作品は、まったく別の読み方となった。感動的な、という感想がいちばんこの本を表しているだろう。どの作品も違った形だが、ジンと来る終わり方になっている。毛色が異なっているとしたら「アヴの月、九日」だろうか。これが件の「イリアム」シリーズらしいのだが、読んでいないのでそこに張られているだろう伏線が一つも見えてこない。独立した作品としてはそれなりに面白いのだが、より大きなものの一部という感じがしてならない。
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by invox | 2010-01-27 23:20 | ■Books
「2012」(2009年/アメリカ)

監督・脚本・製作総指揮:ローランド・エメリッヒ
製作・脚本・音楽:ハラルド・クローサー
出演:ジョン・キューザック/キウェテル・イジョフォー/アマンダ・ピート/オリヴァー・プラット/タンディ・ニュートン/ダニー・グローヴァー/ウディ・ハレルソン


e0006365_23183252.jpgローランド・エメリッヒ監督の作品「デイ・アフター・トゥモロー」を見て、地球温暖化が氷河期に直接的に繋がるんだなぁ、と思っていたら、こんどは惑星直列と太陽の異常フレアによる地殻変動+地軸変動という設定。リアリティがあるだけに怖い設定であるのは同様。違っているのは「方舟」という大国優先、政治家・資産家優先の「救済」が準備されているところか。一般人は切り捨て。せいぜいがこの方舟を作る上でサポートした軍人などの極一部。しかも、ぎりぎりで彼らを救う決断をするという形での美談として描いている。これはちょっといただけない。同じように科学者が中心的に描かれていた「デイ・アフター・トゥモロー」の方がまだ良かったかも。結局は、「国家の建て直し」が「アメリカ建国」にイメージを重ねられてラストとなるのは同じなのかもしれないが。

それはさておいても、問題提起という意味では、これらの2作品は重要かもしれない。地球温暖化は現実の問題として目の前に突きつけられているにもかかわらずCOP15は機能しなかったし、惑星直列や太陽の異常活動は手をこまねいてみているだけなのか? 25万分の1の確立の小惑星衝突回避のためのロケットぶっつけ作戦をロシアが提案しているが、超巨大太陽フレアによる地球への影響についてはどの程度研究が進んでいるのか。それが本当に映画で描かれているように地殻を大変動させるようなものだとしたらその対策は? ...まぁ、そんなことも思ってみたりするわけです。

映画はあくまで映画でエンターテイメントに過ぎない、ということも、この作品を見ていて感じた。決して教条主義的にも、啓蒙しようという意図もなく、あくまでも映画としてフィクションの世界を楽しめるように作られている。地軸まで変わり、極性が反転しているのに、人工衛星が何の影響も受けないなんてありえないだろう。それだけの磁場の変化があれば墜落してるぞ普通。などという突っ込みのひとつもしたくなるのでした。あ~面白かった。
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by invox | 2010-01-26 23:18 | ■Cinema/Movie
フィンランドのパウリーナ・レルヒェから、久々にメールが届いた。

それによれば、昨年は、2月に次女を出産した後、夏まではライブを行っていなかったが、夏に単発でのライブを2回ほど行った後、クリスマス前にはかなりハードな国内ツアーを行ったとのこと。いやぁ出産した同じ年にまさかツアーをやるとは思わなかったので、とても驚かされた。

それから、パウリーナと、彼女のバンドでも来日したユッカ・キロネン(g, perc.)が所属するもう一つのバンドブーラカット(Burlakat)の3枚目のアルバムが完成し、すでにリリースされたとのこと。こちらは、早速注文しておいたので、届くのが楽しみである。

さて、パウリーナからのお知らせは、Mimmitの1枚目のアルバムに収録されていた「Hauen Sanalla」という曲のプロモーションビデオができた、というものだった。すでに、YouTubeにて、公開されているが、アニメーションはフィンランドでTV放送された作画と同じもののようだ。ヴィデオは2つのバージョンがアップされているが、一つはなんと日本語。パウリーナによれば、まだ、トライアルの段階のもので、パウリーナの従兄弟の奥さんが大阪出身の日本人だとのことで、従兄弟の家で適当な機材で録音しただけのものだそうだ。よってナレーションの音質は英語版ほどは良くない。まぁ、今後フィンランド語でのナレーションで、アニメーションを作成し、DVDとしてリリースする予定だということで、それが完成したら、次は英語と日本語バージョンを作る予定のようだ。なんにしても楽しみだ。

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"Hauen Sanalla" 英語バージョン

"Hauen Sanalla (Japan)" 日本語バージョン(デモ)



ライブ活動も復帰したなら、新作ももちろんだが、ぜひ、また来日してもらいたい。
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by invox | 2010-01-11 00:57 | ■Music
「ソフィー」ガイ・バート(黒原敏行 訳)創元推理文庫

以前、TVで見た映画「穴」の作者の作品だという紹介文を見て驚いた。「穴」は原作(「体験の後」と「穴」で訳出されている)を読んでいないので、映画の印象しかないが、かなり面白かった。なので、「早熟の天才」「魔術的小説」などと書かれている煽り文句よりも、そちらが決め手となって購入した。

e0006365_23361053.jpg二人の会話と独白、回想と現在という場面の混在は、今では珍しくない手法だと思うが、これが発表された1994年ではどうだったのだろうか。まだ、映画やTVドラマもさほどアクロバティックな場面展開を多用していなかったようにも思えるのだが。その手の時間と空間、視点の入れ替わりの激しいものが増えてきたのは90年代後半からだったように思う。それはまずSF映画から始まったのではないか。あるいは、もっと以前に、SF小説の中でそういった手法を用いた作品がクローズアップされ始めたのが先かもしれない。めまいを起こしそうな感覚とでも言うのだろうか、自分自身のいる場所・時間というものの感覚がおかしくなっていくような感じを読むもの・見るものに与える作品が随分と増えたものだと思う。

ソフィーという少女は、一人称で登場するが、登場しない。マシュー(マティー)による物語りが続く。それは容易に「映像化したくなる」だろうものだ。そんなイマジナティヴな回想シーンが壊れていく後半はちょっと残念だ。もう少し落とし方を工夫する余地はあったのではないかと感じた。少し性急に終わらせた感じがした。他にもう一作だけ、小説作品があるようなので、訳出されればぜひそれも読んでみたい。
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by invox | 2010-01-06 23:36 | ■Books
「アヴァター(AVATAR)」ジェームズ・キャメロン監督

e0006365_1716176.jpg「3D」「『タイタニックの』ジェームズ・キャメロン」という話題先行で盛り上がりを見せていた映画が公開された。ネットの世界で「アバター」というものがここ1年くらいで急速に普及したが、それと同じ意味を持つタイトル。違うのは、現実にそこに自分自身の意識を送り込んで「操縦する」ことができるというところか。

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衛星パンドラの世界は、まるでロジャー・ディーンのイラストからのパクリであるかのようだ。そう思っていたら、すでにいろんなところで指摘されているようだ。ロジャー・ディーンのHPでもグーグルで検索してみろという指摘がある。どう見たって、ロジャー・ディーン作品から持ってきたとしか思えない浮島や生物(特にドラゴン)、木々、山々や岩、空。てっきり正式に協力しているものと思ったが、エンドロールをずっと見ていても名前は出てこないし、謝辞もない。ちょっとひどいのではないだろうか。グーグルで検索するといろんな人が色々言っているようなので、そのうち無視できない問題として人口に介するようになるのではないだろうか。
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まぁ、権利関係は今後はっきりしていくのだろうが、それを忘れて映画を見てみると、確かにすごい。面白かった。地球人のアメリカを皮肉ったような商業・経済優先主義的な植民地主義的な武力行使を、これもまたアメリカ的な人間中心主義的な主人公の考え方と行動。武力には武力で、というのが常に付きまとうのは仕方ないのかもしれないが、自然回帰、神秘主義、ヒューマニズム、民族主義と経済主義の対立みたいなお題目は、いつまで経っても重要なままなのだろうか。最近少し食傷気味かも。ただ、圧倒的な別世界の存在感はさすがキャメロン監督だ。大型動物の描き方にはリアリティにおいて多少疑問の余地があるが、植生や自然については、一点、浮島から流れ落ちる滝というありえないものを除いては説得力がある(宙に浮いている島めいた岩の塊に流れ出し続けるだけの地下水があるとは思えない)。
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この映画、どこまで興行成績を伸ばすのか、「2012」と併せて興味深い。なお、最初の画像以外はロジャー・ディーンの作品だ。
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by invox | 2010-01-04 17:19 | ■Cinema/Movie
"Ensemble Contemporary α 2009"
"二重の響き~フランスと日本、声楽と器楽"グリゼイとミュライユの作品を中心に


日時 : 2009年12月15日(火)
場所 : すみだトリフォニーホール・小ホール
演 奏:Ensemble Contemporary α
ゲスト:小林 真理(メゾ・ソプラノ)、阿部 麿(ホルン)

楽曲(順不同)

1) 斉木 由美 (1964-) エピソード II (2009 新作初演)[violin, piano]
2) ジルベール・アミ (1936-) 暗澹たる惨禍から・・・(1971) 歌:小林 真理
3) 夏田 昌和 (1968-)  長いこと私は歌を歌わずにやってきた、しかし・・・
 (2008/2009 改訂版初演) [alto flute, viola]
4) ジェラール・グリゼイ (1946-1998) タレア(1986)
 [flute, clarinet, violin, violoncello, piano]
5) 鈴木 純明 (1970-) エピソード I (2009 新作初演)[violin, piano]
6) 金子仁美(1965-)音素Ⅰ(2006/2009 改訂版初演)独唱:小林 真理
7) 伊藤 弘之 (1963-)  沈み行く深い森へ (2009)
 [flute, oboe, clarinet, percussion, piano, violin, viola, violoncello]
8) フィリップ・ルルー (1959-) 我が愛しき人よ 君が望めば (1997) 独唱:小林 真理
9) トリスタン・ミュライユ (1947-) 記憶・浸食 (1976)
 [horn, flute, oboe, clarinet, bassoon, 2violins, viola, violoncello, doublebass]
  *ホルン独奏:阿部 麿

いつものように小ホールはほぼ満席。今回は私の知っている曲、作曲家の作品はないので、全て初聴であった。バイオリンとピアノによるオープニングは、この半世紀ほどでスタイルとして確立された技法をベースにしたスタンダードのように聞こえた。技巧的には目新しいものはなく、あとはどう展開を組み立てているのかで好みが分かれるだろう。2曲目は声単独のパフォーマンス。いろんな試みは、それはそれで分かるが、やはり新しさは感じないし、音楽としてどうか、という点でもいまひとつ。音の必然性をなくしてあったのか? 故デメトリオ・ストラトスの声だけの現代音楽のアルバムを思い出したが、インパクトは全く異なる。こういった試みを見るにつけ、声の可能性を追い求めるのが如何に難しいかが良く分かる。声はそこにあり、人であり、発声者の内にあり、外にある。声は音であり、意味であり、抽象であり、無意味である。形なき文字であり、不安定な楽器でもある。声は人であり、息であり、魂であり、ただの音でもある。目の前に立ち上る声を見ることが出るかのように思えるが、それは心の内で形を与えられているからだとも言われる。声と言語が結びついて用いられることが多いため、声には特別な力があると信じられている。言葉としての意味を持たない声は、それぞれの人々にはどのように聞こえているのか。音で考えることの出来る人、音を形や色としてみることが出来る人、音を無理やり言葉のイメージに転換してでしか聞く事ができない人...。

声は面白い。とくにそれが音楽として扱われる時、声はさらに特別なものとなる。歌詞のある「うた」はもちろんだが、意味の与えられていない単なる音だけだとしても、音楽となった声には特別な力がある。それは、ひとそのものの存在を提示する。特定の個人の場合もあれば、「人間」という言葉に象徴されるような場合もある。

アンサンブルものは、やはり面白い。演奏者個々人の楽曲解釈と指揮者のそれを含めて、偶発的な多様性がそこに現れるからだ。演奏者は、自らの解釈を指揮者を通じて解釈しなおすという作業を行っているようにも見える。ぶつかっていることもあるだろうし、無視する場合もあるだろう。だが、自分と、自分以外のものとの演奏が同じ時間と空間を占めるとき、そこに予定外のものが現れるのは間違いない。そういったことを考えさせられた。音楽とはかくも不思議なものであり、多様なものである。ポピュラー音楽の大量生産されているものも、ごく少数の人にしか聴かれることのない非商業ベースの音楽も、繰り返し型を極めるかのように職人技の演奏家や指揮者によって演奏され継がれていく音楽も、その場限りで消えていく即興演奏も、そこに音を出す人と、それを聴く人が、例えそれが同一人物であっても、音そのものとがどこに属することもなく生じては消えていく様は、消え去った後に何かを残していく。そんな不思議をよくもまぁ体験できるものだと思う。音はそこいら中に溢れているとも言える。それは人間が音と感じるものだけでなく、「振動」という在り方であるのだ。メロディや歌詞があるものだけでなく、リズムがあるものだけでなく、そんなものも含めて、単なる音ではなく音楽を聴くことができることは幸せなことだろう。
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by invox | 2010-01-03 23:26 | ■Music