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学生時代からの知り合いが亡くなった。土曜日の彼のmixiへの書き込みを読んだばかりだというのに、もう彼はいないのだという実感は、湧きようもないが、訃報連絡がまわってきたりすると、あぁ本当なんだなとぼんやりと、呆けた様になってしまう。



あっちの世界、向こう側、この世ならぬもの、常軌を逸した人や物事と出遭った時に、こういう言葉を使うことがある。あるいは自分自身のありようを説明しようとした時に、頭だけがこちら側に出てはいるが、体のほとんどは向こう側にあるような気がする、などと言ってしまう。そう、自分がいつ、本当にすべてあちら側に行ってしまうのか判らない、という恐怖は身近なものとして常にある。そうならないように、自分自身をこちら側に繋ぎとめているのは、理性であったり、音楽であったり、人であったりする(その中で一番頼りないのが理性。それはもっとも理に適った理解の仕方だと頭の中でささやいているのが理性。それを疑っているのも理性だ)。


自分というものが時間的に空間的にどのように「存在」しているのかを考えていくと、結局「存在」していないことが証明されそうな気がする。時間も空間も根源的に同じものであるという理解をしているからかもしれないが、そういった「時空間」とでも呼ぶべき世界の「内側」にあって、常に移動しているのが「存在」であり、それは時間的にも空間的にも決して同一の固定された状態を持たないものであるが故に、それを一般的な理解における確固たる「存在」とは言えないのではないか、と思うのである。ただ、自分が安心するためだけに、仮に存在していると想定しているだけに過ぎず、そうすることによって、理解しやすいものだけを理解しているのではないか。

何ものも、同じ瞬間に異なる空間を占めることはできないし、また、空間は固定されていないが故に、同じ空間を異なる瞬間に占めることはできない。これは出来るように見えるのは、「同じ空間」が実は同じではないことを無視しているからに過ぎない。と、私的に思う。物理学者がどう言っているのかは知らないが。

だから、空間に、人間が認識できるだけで3つの次元があるとすれば、時間にも同様に少なくとも3つの次元があって何ら不思議ではない。仮にX軸、Y軸、Z軸があるとしたら、自分がいる、と信じている「今、ここ」の座標は時間的にも空間的にも[+、+、+]であると前提条件をおき、あちら側の世界を、どの軸かが「-」になっているものと考えると、実に自然なことに見えるのだ。そういう越境行為が起きるためには何が必要なのか、一般的に「死」と呼ばれることなのか、それ以外にも何かがあるのか、よく分からない。

あるいは、よく言われるように、空間にも時間にも4次元とか、5次元とか、さらに上位の次元があるとした場合、それらをどのように表現すればよいのか私にはよく分からない。一般的に、空間の概念においてある事象の[対称]を求めるには、その一つ上の次元を用いなければならないと言われていると聞いたことがある。2次元のもの(例えば「面」)の対称を求めるにはそれを3次元の概念の中で捉えなければならない(つまり、その「面」から離れたところに点なり線がないと対称となる「面」が存在し得ないということ)とか。であれば、人間が現在認識している三次元の対称となるものは4次元の概念のうちにおいて考える必要があるのだが、それが一体どういうものであるのかは三次元という制約の中にある人間の認識力や思考力ではそもそも考えることが出来ないのではないか?という恐怖もある。

そうしたときに、ふと、先述のように「いや、待てよ、4次元だ5次元だと言う前に、そもそも三次元における各軸のマイナス象限について、あまりにも知らないのではないか。知らないが故に、単純に無視してしまっているだけなのではないか」ということを考えてしまうのだ。空間における「負」の概念については、いろいろな研究があると思うし、実際「反物質」などのような手がかりになりそうな概念もある。だが、時間についてはそもそも時間に三つの軸があるという考え方自体、自分以外でそんなことを考えている人がいるのかさえ知らない。私的には時間のマイナス象限は、今の常識から行くと、時間が逆行・遡行する方向に流れる、というものではないような気がしている。もちろん、三つの軸が全てマイナスであれば、そうなるのかもしれないが。


こういったことを、もう30年以上も思ってきている。



彼は、どこへ行ったのだろうか。
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by invox | 2011-09-13 16:09 | ■Human
 Farmers Market Live in Japan 2011
 月見ル君思フ(青山、東京) 2011年9月5日(月)

いや、実に久しぶりな感じだ。前回はいつだったのか良く覚えていないが、「サーフィンUSSR」が出ていたような気がするので2008年以降だったと思う。だが、だが、だが。今回のファーマーズは一味も二味も違った。メンバーは不動の5人。

スティアン・カシュテンセン(Stian Carstensen)(accordion, electric guitar, pedal-steel guitar, kaval, ocarina)は、すっかりはげ親父になっていた(遠くから見たらトゥリフォンと見分けがつきにくいほどだ)が、すっかりベテランの外観とは裏腹に、やることは以前よりもさらにパワー・アップした超絶技巧の楽器演奏と無茶苦茶ぶり。オカリナの演奏には完全にやられてしまった。でたらめな歌もしゃべりも最高!

ニルスオラフ・ヨハンセン(Nils-Olav Johansen)(guitar, vocals)は、スティアンと対を成すエンターテイメントを演出。音楽面でもしっかりと枠組みを構築しつつも脱力するというとんでもないことを両立している。彼の歌をもう少し聴きたかったなぁ。立ち位置をほとんど変えずに体を激しく動かすこともないのだが、顔芸だけでも楽しませてくれる。ギターの腕前は凄いのだが、それを見せ付けるようなロック・スターみたいなことは一切しないのがまた彼らしい。

フィン・グットォルムセン(Finn Guttormsen)(5-strings bass-guitar)は、以前は普通の4弦ベースを弾いていたように思うが、勘違いだろうか?>今回は5弦ベース。見た感じは全くノリの悪い演奏スタイル(ほとんど不動)なのだが、出てくる音は素晴らしい。あの狂ったように変化するリズムやテンポでよく演奏できるものだと毎回感心してしまう。このどっしりとしたベースの屋台骨が船の竜骨のようにバンドを支えていると言ってもいいだろう。

ヤーレ・ヴェスぺシュタ(Jarle Vespestad)(drums)は、すさまじい。良くあんなドラムスを叩けるものだ。破壊力も疾走感も、ノリも最高。単純な曲が一個もないのに全くリズムが崩れないのは彼とフィンのおかげだ。フィンガ竜骨なら、ヤーレは船体そのものかもしれない。また、彼はバンドの中でもっとも普通に笑ったりして、一番親しみやすいキャラクターだ。バンドのはげ三人衆のうち、スキンヘッドなのはヤーレだけなのだが、普通なら強面になりそうなところをその人懐こい笑顔で人気が高い。実際イケメンだ。

トゥリフォン・トゥリフォノフ(Trifon Trifonov)(alto-sax)は、初来日の時からすっかりお友達になってしまった。最年長で唯一ノルウェー人ではなくブルガリア人なのだが、ファーマーズの音楽はトゥリフォンの持ち込んだブルガリア音楽がベースになっているというのも面白い。聴き様によっては、スティアンのアコーディオン演奏などはトゥリフォンのサックスを真似するところからスタートしたのではないか、とすら思える。バンドがどんなにどたばたをやっていても、一人ステージの片隅で淡々と演奏したり、居眠りしたり、疲れたように座っていたりと、見ていて全然飽きない。その存在自体が面白い。今回、これまで機会がなかった彼のソロ・アルバム(ブルガリアの伝統的な結婚式の音楽集)へのサインもやっともらえたが、話をするにはあまりに時間がなさ過ぎた。だってファーマーズは演奏を終わらせるつもりがないのでは、と思えるくらい延々と演奏し続けるんだもの。

今回は、専属エンジニアとしてStig Aron Kamonenを帯同してきていた。そのおかげかどうかは分からないが、これまで見た中でも最も音の迫力があった。もうほとんどロック・コンサートである。10年前、お台場メディアージュにあったライブ・レストラン「トリビュート・トゥ・ザ・ラブ・ジェネレーション」(通称TLG)で初めて見た時にも凄く驚かされたが、今回は、すでにバンドをよく知っているにもかかわらず、さらに驚かされてしまった。これは凄い。

2008年の4枚目のアルバム「サーフィンUSSR」以降、作品を発表していないが、そろそろ何か出して欲しいと思っているのは私だけではないだろう? 会場の月見ルが満員なのを見た観客の一人が感心しているのに対して、「ここまで来るのに10年かかった」という主催者の言葉がしみじみと胸を打った。たしかに10年前のTLGでの観客はもっと少なかったが、でも、その分、当時2枚のアルバムしか出ていなかったファーマーズを見に来るだけに、とても熱心なファンが多かったのも事実である。
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by invox | 2011-09-08 10:43 | ■Music
デヴィッド・ジャクソン(David Jackson)から、11月の頭に日本へいけるかもしれない、という話を聞いたのは、8月11日のことだった。イギリスの暴動のニュースを聞いて安否を尋ねたときのことだった。オザンナと共に再来日出来るようだ、ということで大変嬉しい驚きだった。

そして、先日、正式に発表されたイタリアン・ロック・フェスティヴァル2011でオザンナが再び来日するというニュース。しかし、その公式ページでのメンバーの中にデヴィッドの名前はなかった。
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デヴィッドへ、「正式に発表されたけど」と、このニュースを伝えたところ、その数日後にオザンナのリノ・ヴァイレッティからデヴィッドに対して正式な情報として今回、日本とイタリアのプロモータが、イタリアに拘っていて、イタリア人でないゲストの参加は許されないことになったということで、残念だが、デヴィッドは日本に来ないことがはっきりしたのだった。リノが最初にデヴィッドに演奏を頼んだときには、リノはこの条件を知らなかったとのことで、全くリノの手落ちではないのだけどね、と言っていた。

今回予定されているオザンナとオーケストラの共演での「ミラノ・カリヴロ9」については、これまでのオザンナとの演奏の中で一部の曲を演奏して知ってはいるが、アルバムをフルでは聞いたことがないとのこと。どうやらイギリスではCDを見つけるのが難しいようだ。なので、YouTubeで探していくつか見つかったので、それを聞いてみたのだそうだ。その途中で、オザンナのエリオ・ダナがソプラノとテナーの2本のサックスを演奏するようになったのは、VdGGがイタリアでチャートのトップに立った頃に、デヴィッドがイタリアで演奏するのを見た後に他のメンバーに説得されたからだ、という話を見つけた!と嬉しそうに書いていた。エリオは現在religious retreat(信仰上の修養会)を運営しているのではないか、とのことで、もはや演奏はしていないはずだと。デヴィッドは、一体誰がこれらの重要なフルートのパートを演奏するのだろうか、多分オーケストラの誰かだな!と言っている。

いずれにせよ、最終的に、今年は日本へ行くことはないだろう。来年はどうかな?という言葉と共に、最後にデヴィッドは、それらのコンサートを私のために楽しんでくれと言っていた。いい人だ。

それにしても、アルティ・エ・メスティエリだった、今年、デヴィッド・クロスをゲストに迎えてアルバムを録音しているから、日本公演にはデヴィッド・クロスをゲストに迎えたかったのではないだろうか。だって、最新アルバムからの曲をやりたいのがアーティストっていうものだろう? デヴィッド・クロスにも話を聞いてみたいものだ。
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by invox | 2011-09-02 12:39 | ■Music