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Out of My Book

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Official inVox Blog; Watched, Read and Listened in my real life.

星の光、いまは遠く 上」(Dying of the Light)
   ジョージ・R・R・マーティン(著)、酒井 昭伸(訳)

e0006365_9442275.jpge0006365_9444168.jpgGRRマーティンの最初の長編作品が紹介された。ほんとにこれが最初なのか?と思うほどこなれている。「ハンターズ・ラン」や「タフの方舟」<氷と炎の歌>シリーズよりは多少筆致が固い気もするが、それが原文の特徴なのか、訳文のせいなのかはよく分からない。終わり方は賛否両論あるだろう。あってしかるべき終わり方だ。個人的には最後の最後でハードさが失われた気がした。しかし、そこも含めて、やはりこの人は面白い。<氷と炎の歌>シリーズの3・4とが早く文庫にならないか、と心待ちにしているのだが、2が文庫になってから既に4年が経つ。ハヤカワは最近シリーズ物を途中で訳出を打ち切るというのが多くなったように感じているが、これもハードカバーの売れ行きがどうだったのか、あるいは、文庫での1,2の売れ行きが良くなかったのか、そろそろ諦めてハードカバーで購入しなければならないのかな...。
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# by invox | 2011-07-19 09:42 | ■Books
「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」 国立西洋美術館

現在は既に上野での会期は終了し、名古屋市美術館にて、6月25日(土)~9月4日(日)の日程が予定されている。

レンブラントの印象は、光と影を巧みに表現した絵画、というものだった。実際にはかなり暗めの画面の中で人物なり何なりがある方向からの光を受けて印象的に浮かび上がる、という感じだろうか。その印象を持ったまま、その印象にそう作品を多数期待していたのだが、展示会ではむしろ、単色の版画がメインと言っていいものだった。そこは少し肩透かしを食った気分だ。だが、版画で、しかも金属版画でもこれだけの陰影表現が出来るのだ、というのは確かに驚きだった。

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油彩の印象がこれだけ強い画家が実は油彩よりも版画にこだわっていたというのは一体どういうことだったのか、というところにこだわってこの展示会を見るのも一興だが、個人的にはやはり油彩をもっと沢山見たかった、というのが本音だった。今回は私の知っている作品は一点もなかったのでかなり新鮮な感覚で見ることが出来たが、作品を見る上でひとつ気になったのは、版画はその特質上、ディテールをぼかすことが苦手だということに起因するのであろう「漫画化」。現代の我々は、これまでの長い美術の歴史の積み重ねの上にスタート地点を置く漫画を数多く目にしている。あるいは、作品の中で多くの美術作品が引用されたり、パロディとして登場していたりもする。そのことが、古い作品を見たときに、どうしても「漫画で先に見たことがある」印象を持ってしまう作品があるということに繋がってしまう。版画では特に「線」による描写がほとんどだ。それはつまり、漫画と同じ技法を用いていることが多い、ということなのかもしれない。だが、それでもレンブラント。見た後の印象は素晴らしいものだった。見ておいて損はない。
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# by invox | 2011-06-20 12:44 | ■Arts
2009年に亡くなった元Random Hold(ランダム・ホールド)の創始者の一人デヴィッド・ファーガスン(David Ferguson)が、息子のサムと共にランダム・ホールドの新作を制作しようとしていたということを知ったのは、彼が亡くなった年の後半に、とあるBBSで2008年7月のサムの発言を見かけたからだった。

そこにはデヴィッド・ローズ(David Rhodes)や2ndアルバム時のベース奏者だったマーティン・スウェイン(Martin Swain)などがレコーディングに参加しており、2009年末ごろには出せるのではないかと書いてあった。実際には、その発言の約1年後にデヴィッド・ファーガスン氏が亡くなってしまったため、その構想は現実とはならなかったのだが。

ずっとこの話が気になっていて、昨年、ランダム・ホールドのデビュー・アルバムをプロデュースし、デヴィッド・ファーガスンのソロ・アルバムには娘のホリーが参加したり、自身もデヴィッド・ローズの新作ソロ・アルバム「ビタースウィート(Bittersweet)」にも参加したピーター・ハミル氏にこの話を聞いてみたのだが、ハミル氏曰く、「DFが亡くなった時、レコーディングはさほど進んでいなかったはずだ。おそらくサム一人ではプロジェクトを進めるのは難しいだろう。」とのことであった。

最近、デヴィッド・ローズと直接やり取りをする機会があったので、無謀にも、直接この件について訊いてみたのだが、「私の感じているところでは、この仕事は、ほとんどがデヴィッド・ファーガスンと息子のサムのもので、自分はDFがなくなる前にしばらく一緒に作業した」というものだ。ということだった。これはいくらかのレコーディングを行ったという意味に解釈してもいいだろう。

しかし、実際には、同時期にデヴィッド・ローズは自身のソロ・アルバム「ビタースウィート」の準備を進めていたはずなので、あまり積極的に関与していたというのは考えにくい。やはり、この最後のランダム・ホールド作品は亡くなったデヴィッド・ファーガスンが、墓の中へと持っていってしまった、ということになるのだろうか。

息子のサムはまだ若く、大学生で、音楽もやるが、彼自身の興味の中心は演劇であり、自身、劇団で俳優をやっているようだ。先の発言に拠れば、ランダム・ホールドの新作では父親のデヴィッドと共にサムが共作した楽曲も含まれる予定だったという。彼がそれらを仕上げる気になるかどうかは分からないし、彼が独力で作品として仕上げるには膨大な時間とお金が必要だろう。父親の持っていた音楽業界における人脈を受け継いでいる訳ではないだろうから助けてくれる人はほとんどいないだろう。やはり幻の一枚ということになってしまうのだろうか。
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# by invox | 2011-06-11 15:42 | ■Music
"A Scarcity of Miracles" Jakszyk, Fripp and Collins; A King Crimson Projekct

e0006365_18555768.jpg 1. A Scarcity Of Miracles (7.27)
 2. The Price We Pay (4.49)
 3. Secrets (7.48)
 4. This House (8.37)
 5. The Other Man (5.59)
 6. The Light Of Day (9.02)



5月末にリリースされたばかりだが、3月にでたVdGGの新作「A Grounding in Numbers」以外で、最もよく聴くようになったのがこれ。

21st Century Schizoid Bandで見事にRobert Frippの役割とボーカリストの役割とを両立したことで評価の高いJakko M. Jakszykが、その本家本元であるRobert Fripp とセッションを行ったものをベースに、後からJakkoが色々と手を加えて楽曲の体裁にしたもののようだ。

そこにぜひにと参加をしたのがMel Collinsだとか。そして(おそらくはJakkoから声が掛かったのであろう)Gavin HarrisonとTony Levinという現King Crimsonの強力なリズム・セクション。まぁ、期待するなと言うのが難しいでしょう。

ただし、一つだけ、クリムゾンの熱狂的なファンでカンタベリーを知らない人には「肩透かし」を食うリスクもきちんと取っておいてもらった方がよいかもしれない。(どんな時期のものであっても)クリムゾンの音楽とまったく同じ音楽ではないということだ。むしろJakkoの一番新しいソロ・アルバムである「Bruised Romantic Glee Club」に近しいものを感じる。そもそもJakkoのファンである私にはとても嬉しいのだが、そうでない人にとってはもしかすると「なんだこれは?」となるかもしれないのだ。

しかし、そこには、Fripp曰く「クリムゾンの遺伝子」が見事に入り込んでいるのもまた間違いない事実であり、Jakko自身が語ったことがあるように、最も強い影響を受けたのは、カンタベリー、VdGGそしてクリムゾンだったのだから当然と言えるだろう。(しかも奥さんはマイケル・ジャイルズの娘さんだ。)Jakkoを古くから知る人は「カンタベリー」の流れの中でしか捉えていないかもしれない。あるいは、デヴィッド・ジャクソンの「The Long Hello vol.3」での2曲を知る人は彼がかなりのVdGGファンであることも知っているだろう。(ただしLevel42でのJakkoしか知らない人には意外かもしれない。あぁ、あれは「アラン・ホールズワースの後任」だったのだ。)

JakkoとFrippのギター・セッションが一体どういう経緯で録音されたのかはよく分からないが、オリジナルの録音を聞くことはないのであまり気にしても仕方がないが、聞こえてくる音から判断すると割りとサウンドスケープとギター、みたいなものが多かったのではないかと推測できそうだ。しかし、最終的な形態は見事に展開のある歌モノになっている。ある種淡々とした展開はクリムゾンではあまり聴けないものだと思うが、それはそこはかとなくフリップ&イーノなんかも間接的に連想させる部分もあるかもしれない。

個人的には、少し歌の部分が多過ぎると感じた部分もあるが、元がインストのセッションなので結果としてそうなってしまったのかな、と思っている。バランスをとろうとしすぎた結果だろうか。もっとも私は彼の声が好きなのであまり気にならないのだが。少し残念に思うことがあるとしたら、リズム・セクションが控えめなところだろうか。アルバムの名義は3人になっていて、リズム隊の二人はあくまでもサポートの扱いになっている。演奏が地味だという訳ではないが、控えめだ。もっと暴れてくれた方が嬉しかったが、そういう楽曲でもないか。

なお、特別仕様も同時に発売されているようで、そちらはHQCD/DVD-Audioの2枚組。DVD-Audioがマルチ・チャンネルかどうかは良く分からない。私が買ったのは普通のCDです。ちなみに日本盤も出て来るようです。それとLPも出るらしい。
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# by invox | 2011-06-09 18:57 | ■Music
鈴木生子 Clarinet recital series 2
「ピアノ、クラリネット、チェロのための・・・B&B」


・5月20日(金)19時開演
・淀橋教会小原記念チャペル(新大久保) 

 - クラリネット:鈴木生子
 - ピアノ   :浦壁信二
 - チェロ   :松本卓以

<演奏曲目>

 1. ピアノ、クラリネット、チェロのためのトリオ 作品 11(ベートーヴェン)
 2. ピアノ、クラリネット、チェロのためのトリオ 作品 114(ブラームス)
   ~ アンコール ~
 3. ハンガリー舞曲6番(ブラームス)
 4. 歌の調べの如くに 作品 105-1(ブラームス)


e0006365_12585310.jpg予告されていた演目は本編の2曲だけでしたが、アンコールに、やはりブラームスから、なんと2曲のプレゼント。大変良いコンサートでした。

正直に言って、ベートーヴェンもブラームスも、TVや映画でたまに耳にする程度でしか聞いたことがない私としては、もしかしたら退屈なクラシックなのかもしれないという不安もありました。以前NHK-FMでだったでしょうか、ブラームスの「ハンガリー舞曲」のオーケストラ版は聞いたことがありましたが、印象に残っているのはその1曲の、しかも一番派手なフレーズのパートのみ。やれやれ。

ところが、まずはベートーヴェン。これがまた分かりやすいコントラストの強い曲です。三つの楽器の対比もそうですし、メロディラインも華やか。一つ一つの楽器のラインを追うことが出来るほどの明快さ。いやぁ、新鮮な驚きでした。

一方のブラームス。ハーフトーンな感触がいい、という前説にあったとおり、非常にドラマティックでありながら、これといった派手な要素はなく、でもあっという間に曲の雰囲気に引き込まれてしまい、別世界へと意識が遊離していくような感覚でした。したがってベートーヴェンでは追えた各楽器のメロディがいつの間にか追えなくなっているのに何度も気付く始末。曲の力としてはこちらの方が格段に強かったのではないでしょうか。いや凄いぞブラームス。

そして、アンコールは短くまとめた(2曲とも浦壁氏の編曲)ブラームス。「ハンガリー舞曲」は確かにハンガリアンダンスが容易に連想されるリズムとテンポ。もう一曲は優雅に麗しく。今回のコンサートでの最大の収穫は、ブラームスがこんなに面白い作曲家だったというのを知りえたことかも。

鈴木生子さんは今回はバス・クラリネットはなし。クラリネット一本での勝負。チェロやピアノとの掛け合いなども素晴らしく、音的にきちんと拮抗した演奏をテンションを落とすことなく最後まで引っ張って行ってました。浦壁氏のピアノもさりげなく超絶技巧なフレーズを弾きこなし、アレンジも素晴らしく、もっと活動の幅を広げてポピュラー・ミュージックへも進出して欲しいものです。もう一つ、チェロの松本氏。彼の演奏はコンテンポラリーαでも見聞きしたことがあるはずなのですが、今回はとくに印象が強かった。いいミュージシャンです。音楽を創ろうという意欲がビシバシと伝わってきました。この三人でより自由な集団即興なんかをやっても面白そうです。
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# by invox | 2011-05-24 12:59 | ■Music
「シュルレアリスム展」(国立新美術館)
―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による―


すでに会期は終了したが、フランスの美術館の所蔵品から抽出された作品で構成された展示会だ。だから、そこには「フランス」が隠れている。展示された作品には多くのフランス外のアーティストの作品も多いのだけど...。もちろん、最初に意識して「シュルレアリスム」という言葉を用いたグループはフランスで活動していたのだけれど。展示会にはその有名なブルトンの「宣言」や文章が多数引用してあった。ひとつの運動として作品群をまとめて展示した形をおおよそ取ってはいたのだろう。最後の方ではその活動が終演した後の、そのジャンルの延長線上にあると括られがちな作品が展示の中心となっていたが。

全体をつらつらと見ていったのだけど、おおよそ時間軸に沿った展示方式が取られていた。最初の方は、どの作品を見ても、今となってはパッとしない印象を受けた。強く感じたのは、この時代は手法・技法が表現の求めるレベルに達していなかったのではないかということ。なので、多くの作品からは「もどかしさ」、「挫折感」を感じてしまった。本当はもっと表現したいものが高いレベルにあるのに、描いていくうちに、どんどん目標とのギャップばかりが意識され、しかし、これ以上手を加えることは、ますますそこから離れていってしまうことになるぎりぎりののところで「完成」させてしまった作品達、という印象だった。それはそれで、未完成の魅力というか、荒削りな魅力、もしくは「可能性」を感じさせる魅力という楽しみ方が出来る。もっとも、既に私達は、その後の時代に出てきたものですら「過去の作品」として「知って」いるので、何を目指していたのかというのが透けて見える場合もありうる。果たしてその時、そういった作品を見て、私はどう感じるのだろうか。

展示作品は、途中から手法・技法が表現衝動に追いついてきたなぁという印象に変わっていった。そうなってくると今度はアーティスト自身の持っているものが個々の作品の差として見えてくる。これは面白い。そうなってくると、見るほうとしても「好き、嫌い」でモノが語れるようになる。あるいは「自分に合う、合わない」で。そこに至って初めて自由な表現が出来ると言っても良いのかも知れない。

初期のシュルレアリスム作品は、現在のシュールとかシュールリアルという言葉の与えてくれるイメージとは裏腹に、執拗に「具体的な意味」をその作品の中に込めようとしているように見えた。自動書記という概念は言ってみれば「降りてきた」状態を指していたのかもしれない。作家であれば「言霊」と言えるが、美術ではよく「ミューズ/ムーサ」が降りてきたという言い回しがあったのではないだろうか。シュルレアリスムでは表現衝動それ自体が作品を自動的に定義している、その作品がどのような作品となるのかは表現衝動によって自動的に決まると考えたのかもしれない。それにしては、初期の作品は、ぐちゃぐちゃな中に意味を持たせるべき形象を無理やり入れ込んだような印象を受ける。つまり、印象を受けた/表現衝動の元となった具象を見る人が分かるようにしたかったのではないだろうかという印象なのだ。まじめだったんだなぁ。

途中2箇所で白黒の映画が上映されていた。2箇所とも、直角に交わる壁面を用いてそれぞれに違うフィルムを映し出していた。そのうちの一本は「アンダルシアの犬」だった。ということは、これらの作品はそれぞれ単独の作品であり、2つの作品を同時に映写してみるようには意図されていなかったのではないだろうか。どのような意図を以ってこのような上映方法を取ったのか少し気になった。

解説に拠れば、ブルトンが宣言を出した当初のシュルレアリスム運動とは「偶然性、夢、幻想、神話、共同性などを鍵に、人間の無意識の世界の探求をおこない、日常的な現実を超えた新しい美と真実を発見し、生の変革を実現しようと試みるもの」だったとか。デュシャンやダリ、マグリットといったアーティストの作品を見ると、既存のものを既存の用途とは異なる用い方を想起させるような配置や組合せ、形や色で、その存在と意味を切り離そうとしていたように見える。それが「無意識」をかき混ぜることになるかのように。本当にそうだろうか?と最近思うようになってきた。

出展作品のアーティストたちを挙げておこう。錚々たる顔ぶれだ。これまで知らなかったアーティストで今回気になったのは、ユディト・レーグルだろうか。

アーウィン・ブルーメンフェルド
アーシル・ゴーキー
アルベルト・ジャコメッティ
アンドレ・ブルトン
アンドレ・マッソン
イヴ・タンギー
インジヒ・ハイスラー
ヴィクトル・ブローネル
ヴィフレド・ラム
ウィルヘルム・フレッディ
エリ・ロタール
カミーユ・ゲーマンス
クロード・カーアン
サルバドール・ダリ
シモン・アンタイ
ジャクソン・ポロック
ジャック=アンドレ・ボワファール
ジャック・プレヴェール
ジャン・アルプ
ジャン・ドゥゴテクス
ジョアン・ミロ
ジョゼフ・コーネル
ジョセフ・シマ
ジョルジョ・デ・キリコ
ドラ・マール
ドロテア・タニング
パブロ・ピカソ
ハンス・ベルメール
ブラッサイ
フランシス・ピカビア
ヘルベルト・バイヤー
ポール・デルヴォー
マックス・エルンスト
マックス・モリーズ
マッタ
マヌエル・アルバレス・ブラボ
マリー・トワイヤン
マルセル・ジャン
マルセル・デュシャン
マン・レイ
ユディト・レーグル
ラウル・ユバック
リュシアン・ロレル
ルイス・ブニュエル
ルネ・クレール
ルネ・マグリット
ロバート・マザウェル
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# by invox | 2011-05-22 22:39 | ■Arts
「闇の船」(Darkship Thieves)サラ・A・ホイト(著) 赤尾 秀子(訳)

e0006365_23585486.jpg久しぶりにジュブナイル的なSFを読んだ気がする。買ってから読み始めるまで気が付かなかったが、冒頭の献辞がハインラインに捧げられていた。訳者については良く知らなかったが、ハヤカワでのほかの訳書を見ると、SFと児童文学でいずれも少女達が主人公の作品を得意としているようだ。

で、感想。とても面白かった。直接的にイメージがハインラインのジュブナイルSFを想起させ、とりわけ「ポディの宇宙旅行」(今は「天翔る少女」か。これはごく最近、この同じ訳者で新訳版が出ている。以前の版はタイトルは違えど、中村能三 訳。私が読んだことがあるのはこちら)を連想させる。主人公の性格や家庭環境の設定がそうさせるのだろうか。そこに今風の科学技術的要素を取り入れたとでも言えばいいだろうか。ハイパー・バイオ・テクノロジーの成れの果てを扱ったダン・シモンズの「イリアム」シリーズよりはかなり単純な設定にしてあるが、結局科学技術の発展と人間の発展とのアンバランスを根底においた舞台設定。この辺もハインライン的だ。

ガジェット的な小物の名前などにハインライン作品からの引用があったりもして、ハインライン好きには結構楽しめる作品である。結構面白く読めた。他にも読んでみたいと思ったが、訳出されているのは現時点ではこれだけのようだし、他の多くの作品はSFではないようだ。

あぁ、本屋さんで「天翔ける少女」の新訳版を見つけてしまったので、買ってしまった。で、今読んでいるところ。
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# by invox | 2011-05-13 00:02 | ■Books
「英国王のスピーチ(The King's Speech)」

イギリス映画で、しかも近現代史とは言え歴史の一コマを切り取った作品だというので興味があった。アカデミー賞を取ったというのも「アメリカ映画じゃないなのに」よく取ったな、というのが念頭にはあった。面白そうだ。

監督 トム・フーパー
出演 コリン・ファース、ヘレナ・ボナム=カーター、ジェフリー・ラッシュ
音楽 アレクサンドル・デプラ

王妃エリザベス役のへレナ・ボナム=カーターは、ティム・バートンの映画やTVドラマ「マーリン」でのモーガン・ル・フェイ役で印象に残っている。この映画でも脇役ながらその存在感は印象的だ。好きな女優さんの一人である。

国王ジョージ5世の御世、といってもすでに立憲君主制に移行した後のイギリス。第一次世界大戦も経験し、ヒトラーがまさにポーランドへ侵攻しようという第二次世界大戦前夜とでも言うべき時代なので、国王の出で立ちも現代風だ。ジョージ6世として知られる人物が実はアルバートという名前だったというのは初めて知った。家族の中では「バーティー」。また、アルバートという名前がイギリスでは「ドイツ風の」名前であるというのも初めて知った。一方でジョージはイギリス的な名前なんだとのこと。ジョージこそ「ゲオルグ」とかドイツっぽいイメージがあったんだけどなぁ。

まぁ、それはさておき、一方の主人公の言語障害治療者はライオネル・ローグ。オーストラリア人だという。元はイギリスの植民地(というより流刑地)だったためか、それだけで蔑みの目で見られているようだ。イギリス人の非イギリス人への蔑視傾向は根深いからなぁという実感とも合う。まぁそういうテーマの映画ではないとは思うので先へ進もう。

吃音は意識すればするほどひどくなる。なぜなら心因性のものだから、というのは今では常識となっているが、この時代にはまだその常識は通用しなかったようだ。しかし、国民の前でスピーチをしなければならない人物が吃音だと、想像も出来ないほど嫌だったに違いない。しかもスピーチは避けられないとなれば...。

コリン・ファースの素晴らしさは今更言うべきことではないだろうし、ジェフリー・ラッシュも素晴らしかった。しかし面白かったのは台詞だ。吃音を乗り越えるために罵詈雑言や悪態をうまく利用する。これがとても面白かった。実際にこのような言葉を使っていたのだとしたら、ジョージ6世はとても親しみやすい国王だったに違いない。そう思わせるに十分な「庶民」ぶりだった。
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# by invox | 2011-05-09 21:56 | ■Cinema/Movie
イギリスのデイヴ・スチュワート&バーバラ・ガスキンのレコーディングやライブにおいて、長年のパートナーシップを続けているエンジニアのテッド・ヘイトンさんが、デイヴやバーバラとも連絡を取り合って、日本のファンに向けての共同メッセージ(テッドとペトラのヘイトン夫妻、デイヴ&バーバラの4人の連名です)を送ってくださいました。

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To all our friends in Japan:

We are thinking of you all at this difficult time and are very sorry to hear of the dangerous conditions caused by the earthquake and tsunami.
If things get worse and you need a place to go, you are welcome to come and stay with us in England.

All the best,

Ted & Petra Hayton, Dave Stewart & Barbara Gaskin.(2011/03/19)

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私達は、この困難なときにあたって、あなた方皆のことを思っています。また、地震と津波によって引き起こされた危険な状況を聞き、とても気の毒に思っています。
もし、ものごとがより悪くなって、行き場が必要となったならば、あなた方がイングランドに来て私達と共に過ごすことを歓迎します。

幸運をお祈りします。

テッド&ペトラ・ヘイトン、デイヴ・スチュワート&バーバラ・ガスキン

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また、このメッセージを掲載するに当たり、テッドに確認をさせていただきましたが、さらに次のような暖かい言葉をいただきました。

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We know from our visits that Japan is an extremely kind and extraordinary nation and very much look forward to a time when we can visit your wonderful country again.

With fondest wishes

Ted & Petra

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e0006365_10371466.jpg私達は、自分達で訪れたことがあるので、日本が極めて親切で類まれな国であることを知っています。そして、また、あなた方の素晴らしい国をもう一度訪れることが出来る時がくることをとても楽しみにしています。

最も愛情のこもった願いを込めて、

テッド&ペトラ


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遠く離れたイギリスから、このような暖かなメッセージを頂いたことにとても感動しました。また、バーバラやテッドとのメールのやり取りをしていて、彼らが本当に日本の事を心配してくれているのだというのが、ひしひしと伝わってきました。私自身は地震当日は東京都内にいて、帰宅難民となり、職場に椅子を並べて1時間程度しか眠れなかったとは言え、翌日には、通常の3倍近い時間がかかったとは言え帰宅でき、自宅もCDや本が少し棚から落ちていただけですんだ、幸運な部類ですが、イギリスからは、福島の原発の状況もよく分からず、とてもショッキングな映像がテレビでは放送されたため、本当に驚きかつ心配してくれたようです。

それにしても、このようにメッセージをいただけるとは思ってもみませんでした。本当に、また、彼らに会いたいものです。願わくは、デイヴ&バーバラの日本でのコンサート、という形で。
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# by invox | 2011-03-22 11:33 | ■Human
今回の地震では、金曜日に都内で見事に帰宅難民と化してしまい、職場で一泊。椅子を3つ並べて浅い眠りを1時間ほどで長野北部の地震で中断され、早朝の人の殺到している駅から通常の3倍近い時間をかけて帰宅。自室の棚から少しだけCDや本が落下していました。

タイミングの悪いことに、自宅のPCのモニターが先週から不調で画が出ない状態。ノートPCで急場をしのいで入るもののデスクトップPCに入れているデータにアクセスできないのは不便極まりない。

金曜日の地震直後に、ニューヨークのKukyから安否確認のメール。ひとまず大丈夫だとの返事をしたが、その後夜明けと共にイギリスからも連絡がちらほら。バーバラ・ガスキンさんからも心配しているとのメールが。一日中テレビの報道を見ているとの事。また、デヴィッド・ジャクソンからも、最初はラジオでニュースを聞いていてこれほど大きな地震だとは思っていなかったが、夕方テレビのニュースで映像を見て慌てて連絡をしてくれたとのメールを頂いた。エド・クラークもフェイスブックで心配してくれるメッセージをもらった。皆さん、ありがとう。

都内の知り合いにもメールで安否を聞いてみたが、ひとまず大きな被害を受けた人はいないようでとりあえずほっとした。ただ、実家が仙台にあるとか、岩手にあるという知り合いもいて、気が気ではない。福島県郡山の知り合いとは今日連絡が取れた。これからが本当に大変な時期だ。津波の被害を受けたところは、衛生面でも気をつけなければならないだろうし、水と食料の確保が第一だろう。夜の気温もまだ冬のそれだ。体力の落ちている人も多いだろうから心配だ。

九州の実家への連絡は、金曜の内にメールでして、土曜に電話もしたが、実家の近くでも30~70cmの津波があったとのこと。やれやれだ。そういえば、土曜に帰宅する途中の道路が何箇所かアスファルトがひび割れていた。やはり無傷というわけには行かないなぁ。

追記; その後、ピーター・ハミルさんとヒュー・バントンさんからもメールをいただきました。皆優しい。それにしても、気になるのは福島原発。

追記2; さらにデイヴ・スチュアートさん、パウリーナ・レルヒェさん、ガイ・エヴァンスさんからもメッセージが来た。パウリーナによれば、日本にいるフィンランド人も100名程度の連絡がとれないと報道されているとか。皆さんのご無事を祈る他ない。

追記3: その後、イタリアに住んでいるリチャード・シンクレアさんからもメールをいただきました。以前、イタリアで大きな地震があったときにこちらから安否を問うメールを出したことがあったのを覚えていてくれたようです。
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# by invox | 2011-03-13 11:28 | ■Human